ジョルジュ・バルビエ 「牧神の午後」
George Barbier : L' Apres-midi d'un Faune
MIDI:クロード・ドビュッシー 「牧神の午後への前奏曲」
Claude Debussy ; Prelude to the Afternoon of a Faun
「牧神の午後」(1912年)
L' Apres-midi d'un Faune
音楽:クロード・ドビュッシー
美術:レオン・バクスト
振付:ヴァツラフ・ニジンスキー
あるけだるい夏の午後、牧神は岩の上で笛を吹いて気を紛らわせようとしていました。
牧神は半分が人間で、半分が野獣という姿をしていました。
そこに沐浴に行くニンフたちが通りかかりました。
牧神はニンフたちの美しさに心惹かれ、岩を降りて彼女たちに近付きました。ニンフたちはその姿を怖がり逃げてしまいました。
けれど1人のニンフだけが残り、牧神に興味を示します。けれど牧神がそのニンフを抱きすくめようとした瞬間に、怯えて逃げてしまいました。
牧神はニンフの残したヴェールを、岩の上でかき抱きます。
この『牧神の午後』はニジンスキーの振付で、古代ギリシャの壷絵を元に歩行とポーズだけで構成された作品です。
『薔薇の精』の超人的な跳躍で名をはせたニジンスキーですが、自分自身が振付けたこの作品には跳躍を一つも入れませんでした。
またこの作品では、牧神がニンフのヴェールをいだく場面があまりにエロティックで、物議をかもしました。
牧神はヴェールをそれがニンフであるかのように愛撫し、そのヴェールを岩の上に敷き、身を横たえると、自らを慰めたのです。
ロシア・バレエ団の天才的ダンサーだったニジンスキーは、1913年9月、バレエ団から突然解雇されてしまいます。
理由はニジンスキーが結婚をしたからでした。
ニジンスキーはロシア・バレエ団の主催者であるディギレフにとてもも大切にされていました。
ニジンスキーが雑事に煩わされることなく思うがままに踊ったり、彼が振付けた斬新な作品が上演できたのも、すべてディアギレフのおかげでした。
実はニジンスキーは、同性愛者であったディアギレフとその関係にあったのです。
ディアギレフは結婚という裏切りが許せませんでした。
解雇されたニジンスキーは自分のバレエ団を結成しますが、踊りの才能はあっても、バレエ団の運営の才能はまったくありませんでした。
そして自分自身の作品でさえ版権の問題があり、怒りに燃えるディアギレフの協力など得られるはずもなく失敗してしまいました。
そして1914年に第一次世界大戦が始まり、妻ロモラの実家のハンガリーにいたニジンスキーは、
敵国人とみなされ、軟禁されました。
“踊れない”
ニジンスキーの心に少しずつ闇が押し寄せてきました。
ニジンスキーはディアギレフ・バレエに加わるという条件で開放されますが、いったんできた溝は埋まらず、1917年にニジンスキーはバレエ団を去りました。
そして1919年にニジンスキーは発狂してしまいます。
その後ロシア・バレエ団の公演を見てもディアギレフもかつてのパートナーのカルサーヴィナも識別できませんでした。
現実のディアギレフが分からなくなっても、彼のために苦しむことはできました。
ニジンスキーは日記にこう記しています。
「私は神の道化だ…私は道化は愛を表現する時完璧だと思う。愛のない道化は神の道化ではない」
ニジンスキーは正気に戻ることなく30年を生き、1950年4月8日に亡くなりました。
ニジンスキーは病院のベッドの中で、腕を頭上で深く曲げる『薔薇の精』を踊る仕草をして、この世を去ったといわれています。
そして今、ニジンスキーは彼の栄光の地であるパリ、モンマルトルの墓地で眠っています。
Vaslav Nijinsky in 'L' Apres-midi d'un Faune' (1912)