カール・ラーション 「ブリータとわたし」1895年 「自画像」1895年
MIDI:ショパン バラード第4番 作品52

Carl Larsson, Self-Portrait, 1895.
MIDI : F. Chopin, Balade No.4 Op.52 in F Minor.




 1853年、ストックホルムに生まれたカール・ラーションの少年時代は恵まれたものではありませんでした。各部屋にニ、三家族が住むような貧しい暮らしで、父は大酒飲みで一時労働者としてその日暮らし、母は洗濯婦をしていました。
 けれど13歳の時に貧民学校での教師ヤコブがラーションの絵の才能を見出し、ストックホルム美術学校の予科に推薦してくれました。ラーションはそこで古典美術を学び、卒業後1877年、パリに渡りました。
 そして1979年、そのパリで、ラーションは将来の妻となる同じセウウェーデン人の女流画家カーリン・ベルゲーと出会います。
 ラーションは本の挿絵や壁画の仕事をし、パリのサロンでも受け入れられるようになりました。
 そして1833年、カーリンと結婚します。
 カーリンは、貞淑な妻となり、7人のかわいい子どもを生み、幸せな家庭をラーションに与えました。それだけでなく、画家としてのラーションの誰よりも良き理解者であり、また作品に影響を与えるミューズでもあり、そして何よりも彼の心の拠りどころ、愛の総てでした。

Carl Larsson in 1882. Karin Bergöö in 1882.