ベラスケス 「王女アリア・テレサ」(1652-53)
Diego Velázquez (1599-1660) Infanta Maria Teresa, 1652-53.


マルガリータの母違いの姉、王女マリア・テレサは、1638年にフェリペ4世と最初の王妃イサベル・デ・ボルボンの8番目の子どもとして生まれました。2人の間に生まれた最後の子どもでもあります。
1660年に、フランスのルイ14世の妃となりました。その時彼女は22歳。14歳で嫁いだ異母妹マルガリータに比べると遅い結婚に思われます。
それは、兄で皇太子であったバルタサール・カルロスの死後、父は再婚したものの、男子に恵まれず、マリア・テレサが女王になることを考えてのことだったように思われます。
けれど1657年に弟フェリペ・プロスペロが生まれ、ひ弱ながらも成長していることから、彼女の結婚が決まったのでしょう。

ただ本によっては、王子不在の時、王位は長女であるマリア・テレサではなく、次女であるマルガリータにと、フェリペ4世は望んでいたという説もあります。
嫁いできた王妃マリアーナはマルガリータを生んだ時、望んでいた王子ではないショックからなかなか回復せず、もう王子は望めないと思った宮廷が王に、王位はマリア・テレサにと進言したところ、それでは王妃マリアーナがあまりにかわいそうだと思ったフェリペ4世は「次期王位はマルガリータに」と言ったそうです。
そして未来の女王であるマルガリータを中心にして描かれたのが、かの名画「ラス・メニーナス」だというのです。
名画に秘められた謎としては素晴らしいと思うのですが、ただそうなると、マルガリータが3歳と5歳の時に描かれ、ウィーンにお見合い写真として送られた2枚のベラスケスの絵画は何なのか分からなくなってしまいます。

結局マリア・テレサはスペインの王位を継ぐことなく、母方の従兄であるルイ14世の元に嫁ぎました。
夫のルイ14世が77歳と長寿であったため、次の王位はマリア・テレサの子どもではなく、曾孫がルイ15世となりました。
また彼女が嫁いだ後、スペインでは弱かったフェリペ・プロスペロ王子は4歳で亡くなりましたが、その下の弟がカルロス2世が王となります。けれどカルロス2世が子どもがないまま亡くなったため、マリア・テレサの孫がスペインに呼び寄せられ、フェリペ5世として即位しました。

マリア・テレサと王妃マリアーナは、義理の親子という前に従姉妹であるせいか、顔かたちがとてもよく似ていて肖像画が混同されそうですが、ふくれっつらぎみのマリアーナに較べると、マリア・テレサは、明るく穏やかな顔をしています。

マルガリータの夫となったレオポルド1世は、マルガリータではなくマリア・テレサとの結婚を望んでいたという説もあります。
こう書くとマルガリータが気の毒な気がしますが、マリア・テレサ1638年生まれ、レオポルド1世1640年生まれ、マルガリータ1651年生まれということを考えると、レオポルド1世が2つ年上の愛らしい王女に憧れるのは当たり前で、11歳年下の3〜8歳のマルガリータの肖像を送られて、「彼女こそ理想の女性だ!」と一目惚れした方が、おかしいような気がします。


ベラスケス画 「王女マリア・テレーサ」(1651-52)