カレーニョ・デ・ミランダ 「カルロス2世」
Juan Carreño de Miranda (1599-1660), Carlos II.


スペイン・ハプスブルク家の最後の王となるカルロス2世(1661-1700)は、兄のフェリペ・プロスペロ王子が亡くなった1661年に生まれました。マルガリータ王女が10歳の時でした。
この時、既に巨匠ベラスケスは亡くなっていましたが、やはり優れた画家カレーニョ・デ・ミランダが数多くのカルロス2世の肖像画を残しました。

カルロス2世の肖像画を見た私の印象は「お父さんそっくり!」でした。フェリペ2世のはれぼったい唇のみは受け継ぎませんでしたが。

1665年、カルロス2世が4歳の時に、父フェリペ4世が亡くなり、彼が王となりました。母マリアーナが摂政となりますが、彼女には政治的手腕がまったくありませんでした。
そして翌年1666年、姉のマルガリータも嫁いでいってしまいます。

この幼くして王となったカルロス2世については、様々なことが言われています。
3歳になっても1人で立つことができず、まだ乳母の乳を飲んでいた、9歳になっても字がかけなかったなど。
父フェリペ4世は生前、この息子を人前に出すのを嫌がり、どうしても人前に出さなくてはならない時は、穴の開いた布をすっぽりカルロスの顔に被せて謁見させたそうです。

そしてこのようにも言われています。
「身体は平均より小さく、足は不自由、声は無気力で出っ張っており、その眼差しは消え入りそうである。髪も元気なく、顔は異常に長く細い。彼を見た人は奇妙な気持ちになる」と。
カルロス2世はその異様な姿から、「エル・エチサード(魔法にかけられた王)」と呼ばれました。
シェイクスピアの『ハムレット』のような黒の衣装を着たカルロス2世の肖像画を見る限りは、そんな妙な様子は見受けられないのですが。

カルロス2世が妙な様子をしていたのも、またスペイン王家に生まれる子ども達が次々に幼くして亡くなってしまうのも、近親婚の続いたことによるものでした。
カルロス2世も彼の兄弟のように、長くは生きないと思われていましたが、39歳まで生きました。
2度、結婚をしましたが、ついに子どもは授かりませんでした。
カルロス2世が亡くなったのがちょうど1700年、栄光のスペイン・ハプスブルク家は幕を閉じ、フランスのブルボン王家から、異母姉マリア・テレサの孫の17歳のフェリペ5世(1683-1746)が呼び寄せられ、王となりました。スペイン・ボルボン家の始まりでした。


Portrait of Charles II(1676) King Charles II of Spain