シャボン玉 ミヌー・ドルーエ 小海永ニ 訳 (『現代フランス詩集』 土曜美術社出版販売 より) |
わたし 空と軽業したの わたしのお口は風だったの その風のきまぐれが 全部の花びらから ちゃーんと 時間の色をした花束を作ることができたのよ。 わたし 海と軽業したの 一つ一つの玉のお腹に 貝殻のお花が咲いてて 貝殻の中で 私の八歳(やっつ)の歓びが 遠くの環を見つけていたの。 わたし 星と軽業したの 神様がなさるみたいに 星の知ったかぶりの歩き方を直してあげたの でも 星には 涙の光しか 生命が残っていなかったの。 シャボン玉が、もしお話しをしてくれたら、軽やかな高い声で、こんな風に語ってくれるのでしょうか? 光の加減で薔薇色に見えたり、青い色に見えたり、金色に見えたり、小さな玉の中には、本当に貝殻のお花が咲いたよう。でもそれはしばらく漂って消えてしまう、儚い物。 金子みすゞさんの詩を思わせるような、子どもの低い目線で、自然の愛にあふれた、優しい詩です。けれどこの詩は、実は実際に子どもが、8歳の少女が書いた詩なのです。 ミヌー・ドルーエ(Minou Drouet 1947- )は、1955年に第一詩集『木、わたしのお友達』 Arbre, mon ami を出版しますが、その時彼女は、わずか8歳だったそうです。 あまりの才能に、本当に8歳の少女が描いたものかとの疑問も出され、その中にはブルトンやコクトーもいたそうです。筆跡鑑定まで行われ、彼女が書いたものだと認められましたが、いまだに疑問視する人もいるそうです。 小さな女の子が書いた詩とは最初知りませんでしたが、この詩を読んだ時、心から美しいと感じました。どの年齢のどんな人が書いた詩でも。 石鹸水から、いくつもいくつも宝石が生まれる、あの奇跡。そして消えてしまう幻のような美しさ。もう何年もシャボン玉など飛ばしていないのに、自分がストローに息を吹くたびに生まれる、美しい環を、目の前に見た気持ちになりました。それは、本当に神様が人に生命を吹き込むことに、似ているような気がします。 |