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かなりや
              西條八十


唄を忘れた金糸雀(かなりや)は
後ろの山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
背戸の小藪に埋けましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう

唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に 金の櫂(かい)
月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす





「揺籃(ゆりかご)のうたを カナリヤが歌うよ」という、北原白秋の詩の「揺籃(ゆりかご)のうた」 にも思いましたが、金糸雀(カナリヤ)という名前は、異国的で不思議な響きがあると思います。
夜にも光る金色の羽、そして泣き声はピッコロのような声を想像していました。

ペットショップで見たカナリヤは小さな黄色の小鳥で意外でした。そして鳴きはするけれど、歌ってはくれませんでした。

家には物心つく頃から鳥を飼っていて、大抵はヒナの時から飼っているから、とても心が通じ合っています。

鳥は歌を歌います。
高らかに優しく。

そして鳥はそれぞれに、自分の歌を持っています。
とても微妙ですが、それぞれ違う歌を歌っています。
私の家族であるインコや文鳥は、たくさんの歌を歌ってくれました。

小鳥の心臓はとても小さいから、きっと心から安心していないと、歌うことはできないのではないかと思います。
カナリヤも、家族や友達になれば、きっと歌ってくれるのでしょう。

カナリヤはいつ日本に入ってきたか分かりませんが、金糸雀という当て字はとても美しく感じます。
春に黄色の花を咲かせるエニシダ(金雀枝)と、字が似ていますが、つながりはあるのでしょうか。

それにしても、とても不思議な詩だと思います。
唄を忘れたかなりやを何故外へ放し、自由に飛び立たせるのではなく、象牙の船に金の櫂(かい)で、月夜の海に浮かべるのでしょうか。

ふと炭鉱とカナリヤのつながりを思い出します。
カナリヤだけでなく、メジロや十姉妹も使われたそうですが、炭鉱に小鳥が持ち込まれたそうです。
小鳥は坑内で発生するガスに非常に敏感で、人には感じない量でも止まり木から落ちたりしたそうです。
空の見えない暗い炭鉱内で、カナリヤは歌うことができたのでしょうか。

空は自由、月夜の海は夢のように感じます。
もう一度与えられた夢の中で、かなりやは唄を思い出せるのでしょうか。

西條八十の「かなりや」は、大正七(1918)年、雑誌『赤い鳥』に詩が発表され、大正八年に成田為三(なりたためぞう)が曲をつけ、童謡として親しまれています。
童謡の「かなりや」は、意外にも明るい歌で、驚きました。