あかつき  <告 知>より

ファン・ラモン・ヒメネス
伊藤武好,伊藤百合子 訳
彌生書房 世界の詩57 「ヒメネス詩集」より


夜の
輪が
止まっていた……
         ほのかな虹色の天使たちは
みどりの星を消していく。

静かに並ぶ
可憐なすみれが
青白い大地を
やさしく抱きしめる。

花々は夢から出て息をする、
その香りであさつゆを酔わせながら。

さわやかなしだの葉に、
二つの清らかな雫が、
二つの真珠の魂のように
やどり憩う、
永遠の大地へ帰るあさつゆ。
── ああ、白く清純なその抱擁! ──



うっとりと眠る……  <哀しいアリア>より

ファン・ラモン・ヒメネス
伊藤武好,伊藤百合子 訳

うっとりと眠る清らかな小川。
快い谷間、
白いポプラと緑のやなぎの
快い川辺。

── 谷間は夢と心を持っている。
谷間は夢をみながら
フリュートと歌で
やるせない調べを奏でる ──

歌に魅せられた小川。
ものうげなやなぎの枝が、
川面に垂れ
澄みきった水に口づけする。

やさしく穏やかな空、
浮雲は低くただよい、
銀色のもやが
波と木々を愛撫する。

── わたしの心は谷間や
川辺をあこがれた、
そして静かな岸へ行った、
そこから船出するために。

けれど小径を通るとき
わたしは昔の愛に泣いた、
よその谷間で誰かが
古い民謡を唄っていたから ──
(秋のアリア)




カミーユ・コロー 「黄泉よりエウリディケを連れ戻すオルフェウス」




何げなく高校生の時、図書館で手に取ったヒメネスの詩集、夢見るような言葉の美しさ、優しさ、自然への愛に満ちた文章に、とても魅せられました。
自然への愛に満ちた文章は、当時大好きだったヘルマン・ヘッセと共通のものがあり、ドイツの詩人かと思ったら、スペインの詩人で驚きました。
私の中でスペインは「カルメン」に代表されるような情熱的なイメージでしたが、ヒメネスの文章は穏やかな優しさに満ちていました。
ヒメネスの詩は、森や野原や、花、星、月、子ども、天使など、ロマンチックでかわいらしい描写や比喩であふれていて、それは、私の大好きな世界でした。
ヒメネスの詩を読むたび、暖かいものが広がり、本から顔を上げると、世界が綺麗なものでいっぱいのように思います。

何よりも言葉が美しいです。
特に初期の作品が好きです。
「うっとりと眠る……」の中の、擬人化された“うっとりと眠る”“歌に魅せられる”小川と、“夢と心を持っている”谷間に、月の美しい光と音楽を感じました。
ヒメネスの描く森の風景は、やはり大好きな画家カミーユ・コローの描く森のように、幻想的で暖かな光に包まれているように、感じました。

ファン・ラモン・ヒメネスは1881年12月、スペイン南部のアンダルシア地方、ウェルバ県モーゲル町に生まれました。
ブドウ栽培を主とした、南国の美しい町で、ヒメネスは絵が得意で、熱心に絵を描いていましたが、17歳の時に彼の書いた詩が、セビリアの新聞に掲載されてからは、文学に興味を持ち始め、間もなく詩は彼で世界がいっぱいになります。

繊細なヒメネスは、学生時代からノイローゼに悩まされます。
その頃マドリードでは「新生活」という雑誌が発刊され愛好されていましたが、ヒメネスが投稿したところ、すぐに掲載され、好評を受けて各号に詩を載せることになり、17歳から19歳にかけて(1898〜1900)の詩は詩集『告知』に収められています。
「あかつき」は『告知』のなかの一編です。

18歳の1900年4月に『紫の魂』と『すいれん』という2冊の詩集を出します。
ところが同じ年の夏、父を亡くし、悲嘆と死の恐怖で、ノイローゼは悪化し、療養所に2年間いました。
「うっとりと眠る……」は、その療養生活の間に書かれた詩集『哀しいアリア』の中の一編です。

若いヒメネスは、療養所から故郷モゲールに戻ると、山や野を歩き、絵を描き、詩作し、読書していくうちに健康を取り戻します。

20代半ばから書き始めた散文詩『プラテーロとわたし』は、彼の愛したロバ、プラテーロに托して、モゲールの自然や出来事や人間像を語った、優しく美しい叙情的な作品で、子どもから大人にまで、広く読まれ、彼の代表作になりました。

ヒメネスは、一切の権威や形式(教会や聖職者も含む)を嫌い、純粋に自然や人生の真実を知ろうとしました。そして弱いもの、おろかなもの、幼いものを限りなく愛し、子どもの中には純粋があると信じました。

1936年のスペインの内乱で、ヒメネスは祖国を離れ、アメリカや中南米を長く流転し、大学で講義したり、数々の詩集を出します。
そして1956年10月、ノーベル文学賞がヒメネスに授与されました。

けれどノーベル賞が受賞されて間もなく、愛する妻セノビアが亡くなります。
悲しみにくれたものの、人々の看護により立ち直り、子どもたちと語り、墓地を訪れ、大学にも出ますが、妻の死から1年半後、1958年の5月29日、彼の大好きなバラの咲く頃、76歳で、亡くなりました。

ヒメネスは、愛する妻と共に、故郷アンダルシアで、永遠の眠りについています。
ヒメネスのは生涯は詩で溢れ、数多くの詩を書き、詩集だけでも40冊を超えました。



参考文献:彌生書房 世界の詩57 ヒメネス詩集