エーアン(万歳)/ママ、どこにいるの?
Éljen / Mama, wo bist du (Mother, where are you?)



絵画:皇妃エリザベートと皇太子ルドルフ、次女ギーゼラの肖像
Elisabeth with the newborn Rudolf and two-year-old Gisela.


 戴冠式にハンガリーの民族衣装を着て王妃として戴冠したエリザベートは、輝くばかりに美しく、ハンガリー国民を魅了する。
 首都ブタペストは、王妃エルジェーベト(Erzsébet エリザベートのハンガリー語読み)を歓呼する声で沸きかえった。

「エーアン(万歳)!エーアン!エルジェーベト!」

 ハンガリーの自由な気質、国民の開けっぴろげな王妃への賞賛に、堅苦しいウィーンにうんざりしていたエリザベートもまた惹きつけられたのだった。



ハンガリー戴冠式衣装のエリザベート 1867年



 ウィーンの宮廷。

 エリザベートの息子で9歳の皇太子ルドルフが、夜、熱に浮かされて目を覚まし、母を呼ぶ。

 ママ、ママ…、ママはどこにいるの?
 ぼくの声が聞こえる?
 とっても寒いんだ。
 ぼくを抱いて。
 みんな言うんだ。
 ぼくがママの邪魔をしちゃいけないって。
 でもどうして、ぼくがママのそばにいちゃいけないの?


 ルドルフは生まれてすぐに姑ゾフィーに取り上げられ、その教育もすべてゾフィーが決めていた。しかし2年前、エリザベートはフランツ・ヨーゼフに最後通牒を出し、母親としての権利を取り戻し、ルドルフの教育も彼女の自由になった。
 けれど結局エリザベートはウィーンの宮廷に留まることなく旅にばかり出ていた。エリザベートは昔、自由な心を持った父に憧れ、その父に置いていかれた同じことを息子にしていることを気付かない。
 わずかな時間、ウィーンにいる時でさえもダイエットと称して、家族と食事を取ることはなかった。
 幼いルドルフは寂しくてたまらなかった。

 一人ぼっちでベッドにいるルドルフに、死神トートが近付く。

 私は友だちだよ。
 君が私を必要とすれば、やってくるよ。


 孤独なルドルフは死神にそばにいてくれるように言う。

 僕だってがんばれば、英雄になれるんだ。
 昨日は猫を一匹、殴り殺したんだ。
 この世の中のように、
 残酷で悪いやつにだってなれるんだよ。
 でも、できるなら、
 とってもやさしい人になりたい。


 「できるのなら、もっと優しい人でありたい」と、『皇帝の義務』で歌ったフランツ・ヨーゼフ。
 ルドルフは自由主義的なエリザベートの息子であると同時に、この孤独な皇帝フランツ・ヨーゼフの息子でもあった。

 ああ、ママ、
 僕はいつもあなたのそばにいたいんだ。
 でもあなたは出かけていってしまう、
 僕を放っておいて。
 出かけない時でも、
 あなたは鍵をかけて閉じこもったまま。
 どうしてあなたは、僕を独りにするの?





ルドルフ皇太子 3歳の写真
Crown Prince Rudolf of Austria - 3 years old




ルドルフ皇太子 9歳の写真
Crown Prince Rudolf of Austria - 9 years old



 ママ、ママ…、ママはどこにいるの?
 ぼくの声が聞こえる?
 とっても寒いんだ。


 ずっと後に、この歌に呼応するかのように、エリザベートも歌います。

 ルドルフ、どこにいるの?
 私が呼んでいるのが聞こえる?


 その時はあまりに遅く、エリザベートが息子の棺を見送る時でした。



父フランツ・ヨーゼフ皇帝と姉ギーゼラと共に(1861年)
Crown Prince Rudolf with his father Emperor Franz-Josef and sister Gisela in 1861.
この頃、母エリザベートは療養のため、2年間ウィーンを留守にしていた。



姉ギーゼラと共に 7歳頃(1865年)
Crown Prince Rudolf with his sister Gisela in 1865.
母不在のウィーンで育った姉弟





皇帝の家族写真 ウィーン 1859年
前列左より エリザベートと皇太子ルドルフ、次女ギーゼラ、ゾフィー大公妃、フランツ・カール皇太公。
後列左より フランツ・ヨーゼフ皇帝(長男)、
弟マックス大公子(次男 後のメキシコ皇帝)とシャルロッテ大公子妃(ベルギー王女)、
末弟ルートヴィヒ・ヴィクトール(四男)、弟カール・ルートヴィヒ(三男)



ハンガリー ゲデーレ城の庭でくつろぐ皇帝一家
Die Kaiserfamilie im Schloßpark von Gödöllö.

エリザベートの最後の子ども、マリー・ヴァレリーはハンガリーで生まれた。
それまでウィーンで生んだゾフィー、ギーゼラ、ルドルフの3人は、
生まれてすぐに姑ゾフィーに取り上げられてしまった。
マリー・ヴァレリーだけはエリザベートが唯一手元で育てることができた子どもで、
これまで与えることのできなかった母性愛の全てを与えるかのように、溺愛した。
ヴァレリーが生まれた時、ルドルフは9歳、妹の誕生に不満だったと伝えられている。




ハンガリー ゲデレ城での皇帝一家
左から皇帝フランツ・ヨーゼフ、ギュラ・アンドラーシ伯爵、
ハンガリー人の乳母、その後ろに皇妃の腹心イダ・フェレンツィ、
末娘マリー・ヴァレリーを膝の上に乗せたエリザベート、
次女ギーゼラとルドルフ皇太子
女官のマリー・フェスティッチュ、フランツ・ノベザ男爵




皇女ギーゼラとレオポルド侯爵の際の家族の記念写真 1872年
左からルドルフ、エリザベート、次女マリー・ヴァレリー
長女ギーゼラと婚約者レオポルド侯爵、皇帝フランツ・ヨーゼフ




黒いリピツァーナーに乗るルドルフ皇太子