僕はママの鏡だから/死の舞
Wenn ich dein Spiegel wär (If I were your mirror) /
Mayerling-Walzer (Mayerling Waltz)




絵画:アントン・アインスレ 「黒いベルベットのドレス姿のエリザベート」
Anton Einsle, The Empress in a black vrlvet dress.



 エリザベートの1人息子ルドルフは、オーストリア帝国の今後について、父の皇帝フランツ・ヨーゼフと激しく対立するようになる。
 ウィーンの街ではファシズムが台頭し始め、ルドルフはユダヤ人援護したことを糾弾され、絶望的な状況に追い込まれていった。
 ルドルフを救えるのは母であるエリザベートだけだったが、彼女は息子を庇おうとせず、その絶望に気付くことはなかった。





  あなたが 僕と話をしてくれるのを
  もう何度、僕は待ったことだろう
  あなたが 沈黙を破ってくれるのを
  どんなに僕は望んだことだろう
  あなたは驚くでしょうね
  僕達2人が こんなにも似ていることを知ったら
  死にかけている世界にとって
  僕達は ただの余計者
  僕があなたの鏡であったなら
  あなたは 僕の中にあなたを見るだろうに
  そうしたら
  僕が話さないでいることを理解するのが
  それほど難しくはないだろうに
  あなたが振り向いてくれるまで
  だって、僕の中にあなたは、
  あまりにもあなたを見てしまうのだから




少年時代のルドルフ皇太子
Crown Prince Rudolf of Austria.


 1889年1月30日。
 ウィーンの森の南部マイヤーリンクにある王家の狩猟小屋。
 ルドルフはトート(死)とワルツを踊り、死の口づけを受けると、ゆっくりと自分のこめかみに銃を押し当て、引き金を引いた。





「ラクセンブルク城庭園の皇帝・皇太子夫妻」
エリザベートは息子の苦しみに、その死まで気付かなかった。



妻シュテファニー、娘エリザベート(エルツィ)と共に
Crown Prince Rudolf with his wife Steéphanie and daughter Elisabeth (Erzsi).


男爵令嬢マリー・ヴェッツェラ
ルドルフ皇太子の愛人で、マイヤーリンクで彼と心中。17歳だった。
トルコの血を引くオリエンタルな容貌だった。
Marie von Vetsera (1871-1889)
Crown Prince Rudolf of Austria's mistress




ルドルフ皇太子 19歳頃 (1877年)
Crown Prince Rudolf of Austria, 1877.




ルドルフ皇太子 生存中の最後の写真 30歳 1889年1月
Crown Prince Rudolf, January 1889.

マイヤーリンクに出発する直前の写真と思われる。
この写真を撮ってからまもない1月30日、マイヤーリンクでルドルフは自殺する。



1889年当時のマイヤーリンク 狩猟の館
Mayerling, 1889.
事件の後、ルドルフを弔うために修道院に改装された。