絵画:フレデリック・バジール(1841-1870) 「急ごしらえの病室」(1865)
Frederic Bazille
The Improvised field Hospital (Monet after His Accident at the Inn of Cailly)
MIDI:メンデルスゾーン 『無言歌集』より 第5番作品19-5「眠れぬままに」


「草上の昼食」の番外編ということで、
モネの作品ではなく、親友の画家フレデリック・バジール(1841-1870)の、
「急ごしらえの病室」を取り上げてみました。

「草上の昼食」(1865-66)で、ほとんどの男性のモデルをつとめたのはバジールでしたが、
モネがシャイイから、モデルになってほしいと山のように懇願の手紙を送り続けたため、
わざわざパリから出かけていったのでした。


バジール「パレットを持った自画像」(1865)

そこでバジールは夏の終わりの数週間をモネと共にシャイイで過ごすのですが、
バジールがパリからシャイイに着いた時、
なんとモネは足の怪我で引きこもっていたのです。

当然、戸外でのスケッチは無理でした。
そして動けなかったモネは、
反対にバジールの「急ごしらえの病室」のモデルになったのでした。

バジールは絵画と共に、数年間医学も学んでおり、
モネの足の上に吊るされた珍しい考案物は、
少しずつ冷たい水を滴らせて、足を冷やすためのものでした。

親しい人にしか見せないだろう不機嫌そうなモネの表情が、可笑しいです。
この「急ごしらえの病室」は、モネの「草上の昼食」の中央断片、左断片と共に、
パリ、オルセー美術館に所蔵されています。

バジールは画塾仲間の中では裕福であり、
文無しのルノワールとモネを彼のアトリエに泊めてあげたり、
時にはモネから絵を買ってあげたりと、友人たちに優しさを示しましたが、
1870年、普仏戦争(1870〜1871)で、29歳の若さで戦死し、
仲間たちは大きな衝撃を受けました。


バジール「The Family Gathering」(1867)