絵画:クロード・モネ 「サンジェルマン・ロクセロワ教会」(1867)
Saint-Germain-l'Auxerrois 1867
MIDI:メンデルスゾーン 「Trinklied(乾杯の歌)」
(MIDIの著作権はClassic MIDI Room様に属します)

モネの「庭の女たち」が落選した、1967年のサロン審査員達は、
並外れて保守的でした。
提出された作品の3分の2が拒絶され、
モネだけでなく、ルノワール、バジール、シスレーの絵画も落選ししました。

このあまりの審査に、審査員のメンバーであった、
バルビゾン派の画家コロー(1796-1875)とドービニー(1817-1878)は、
抗議して、辞任しました。

かつて1963年のサロンも数多くの作品が落選され、
その時、芸術家たちは皇帝ナポレオン3世に嘆願書を送り、
サロンとは別に「落選展」が開かれました。
その時、マネの「草上の昼食」が、大スキャンダルを起こしたことは有名です。

1867年も、多くの嘆願書が送られたにも関らず、
「落選展」は開かれませんでした。
この年のパリでは、2度目の万国博覧会が開かれるからでした。
批判を呼びそうな作品は、すべて禁じられたのです。

数百万の人々が訪れた万国博覧会で、
パリはその豊かさと、古いものと新しいものが混ざり合った、
素晴らしい都市の変貌を、内外に見せつけました。

モネとルノワールもまたこの年の春、
パリの街を歩き回り、絵を描きました。


「サンジェルマン・ロクセロワ教会」(1867)は、
ルーヴルの3階から描いた作品です。

この時の万国博覧会で、日本は、
時の政府である徳川幕府と、倒幕の勢いにある薩摩と肥前藩が、
積極的に参加を推進し、パリのいたる所に、浮世絵が出回りました。
そしてこの浮世絵を、モネや多くの画家が愛し、影響を受けるのです。


ルノワール 「1867年万国博のシャンゼリゼ」(1867)
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