初 恋
1971年/ドイツ・アメリカ合作/90分
製作:マクシミリアン・シェル
バリー・レヴィンソン
監督:マクシミリアン・シェル
原作:イワン・ツルゲーネフ
脚本:マクシミリアン・シェル
ジョン・グールド
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:マーク・ロンドン
編集:ダグマー・ヒルツ
キャスト
アレキサンダー:ジョン・モルダー・ブラウン
ジナイーダ:ドミニク・サンダ
父:マクシミリアン・シェル
母:ヴァレンティナ・コルテーゼ
ルーシン医師:マリウス・ゴーリング
ザセキナ公爵夫人:ダンディ・ニコラス
マイダーノフ:ジョン・オズボーン
STORY
アレキサンダーが初めてジナイーダに会ったの
は16歳の夏だった。大学受験の勉強のために
両親と、田舎の別荘にきていた彼は、隣の借家へ越してきたザセキナ公爵夫人の娘ジ
ナイーダに一目で恋してしまう。ジナイーダは
アレキサンダーより5つ年上の21歳。ジナイーダはアレキサンダーに溢れるほとせの
愛情をそそぐかと思うと、突然冷たくなり、
彼を翻弄した。何ごとも手につかないほどアレキサンダーは思いを募らせる。ところ
がある夜、アレキサンダーは
思いがけない光景を見て激しく動揺してしまう。敬愛する父とジナイーダが一緒にい
たのだった。
図書室にある世界文学全集の中で一番最初に目についてしまうツルゲーネフの『初恋』
。
私も中学一年生の時に読みました。
この映画はそのツルゲーネフの『初恋』を忠実に映画化した作品です。
19世紀半ばのロシア。裕福な家庭の16歳の少年が大学受験の勉強のため、夏に訪れた
別荘で、1人の美しい年上の女性
に恋してしまうという物語です。
唯一原作と違っていたのは、主人公のアレキサンダー(原作ではウラジーミル)の母
が原作では父より10も年上で息子に
無関心だったのが、映画では美しく、息子を溺愛していたことです。
それも納得するはず。アレキサンダー役のジョン・モルダー・ブラウンは、穏やかで
清潔感のある美しい少年で、更には育ちの良さを感じる若い紳士で、母性本能を
くすぐらずにはいられない儚さを持っていました。
対するドミニク・サンダは、濃い金髪の長い髪、青にも灰色にも見える澄んだ瞳、完
璧に整った顔だち。エルフや精霊、もしくは
ボッティチェリの描く聖母のような清楚な美しさを持ちながら、暖かさと冷たさを同
時に持ち、気紛れや奔放さがとても似合う
不思議な女性。
原作を超えた素晴らしいジナイーダでした。
ただこの2人があまりに素晴らしくて、この2人の運命を変えてしまう、アレキサン
ダーの父、マクシミリアン・シェルの良さを殆ど感じませんでした。
これは俳優のせいではなく、原作もそうで、この父がどんな人物で、どんな愛を持ち、
どんな風に苦しんだか、分かりませんでした。
貴族の夏の避暑地。広がる草原。
寝そべって虫メガネで、様々な風景を見るアレキサンダー。太陽、遠くの森、虫、花。
虫メガネを遠ざけて、世界が反対に見える姿を楽しんだりしています。
その虫メガネで見ていた空の青の中に突然入ってきたピンク。虫メガネの中でぼんや
りとしていたのが、それを置いて自分の目で見ると、それが1人の美しい女性の姿だ
と分かります。
それがジナイーダでした。
数人の男友達に囲まれ、楽しそうにテニスをするジナイーダ。
眩しそうに見つめるアレキサンダーの青い瞳も澄んでいて美しく、バックに流れるショ
パンのピアノ・ソナタと共に、とても美しい風景でした。
ジナイーダは、アレキサンダーの別荘の隣の借家を借りたザセキナ公爵夫人の一人娘
でした。
アレキサンダーの母が公爵夫人母娘を昼食に招待し、喜びいさんで隣にそれを伝えに
行くアレキサンダー。
公爵婦人は無学な品のない女性でペチャクチャおしゃべりばかり。アレキサンダーは
公爵婦人のおしゃべりはそっちのけで、ジナイーダを目で探します。
現れたジナイーダはその好意を見透かしたかのように、微笑みを浮かべ、アレキサン
ダーに編み物の毛糸巻きを手伝わせます。
振りほどこうと思えばほどける、柔らかくて暖かい手錠を、自らかけているような、
甘やかで残酷で美しい光景でした。
母娘が訪れた昼食の時も、アレキサンダーは、両親や公爵夫人の話などまるで耳に入
らず、美しいジナイーダを見つめるばかりでした。
けれどジナイーダは無関心な
態度で、アレキサンダーはがっかりしますが、
ジナイーダの帰りぎわにアレキサンダーは、夜の8時に家に来るように誘われます。
アレキサンダーが約束の8時にジナイーダの家を訪れると、客間には陽気な声が聞こ
え、5人の男たちがジナイーダをとり囲んで
いました。詩人のマイダーノフ、ルーシン医師、ベロゾルフ大尉、マレフスキー伯爵、
そして退役大佐のニルマッキーたちでした。
皆ジナイーダの取り巻きでした。
そんな取り巻きの中でもアレキサンダーは特別扱いで、ジナイーダは溢れるばかりの
優しさ微笑みをアレキサンダーにそそぎます。
けれど少しでも深く近付こうとすると、突然冷たくなり、その度にアレキサンダーは
幸福と絶望を味わいました。
この飴とムチの使い方、そしてアレキサンダーの服従ぶりが、残酷ながら心地よく美
しく、現実を離れてギリシャ神話の女神と少年のようにも見えました。
ジナイーダの後を常に追い続けるアレキサンダー。
森の中を彷徨うジナイーダは夕陽の中に、2階建ての屋根の上に立って自分を見つめ
るアレキサンダーを見つけます。
「まだ帰っていなかったの? 私が好きならそこから飛び下りなさい」
と叫ぶジ
ナイーダ。
ためらうことなく、アレキサンダーは飛び下ります。
「なんて無茶を。どうして? 私もあなたが大好きよ」
とキスの雨を降らすジナ
イーダ。
けれど、目を覚ましたアレキサンダーが愛撫を返そうとすると、ジナイーダは途端に
冷たくなり、去っていきました。
そんなある日、アレキサンダーはジナイーダの取り巻きの1人マレフスキー伯爵から、
ジナイーダが好きなら夜の庭を見張るようにと、
意味ありげに告げられます。
短剣を持ち、夜の庭を見張るアレキサンダー。
ジナイーダの部屋に男の影が近付き、短剣を持つ手に力を入れた瞬間、それが誰だか
分かり、剣を落とします。
それは敬愛する自分の父でした。
次の日、ジナイーダに再会した時、最初はよそよそしい態度だったアレキサンダーは、
結局ジナイーダを憎むことも嫌うことも出来ず、彼女を前に泣き出します。
「何故ぼくを玩具にしたんです??
アレキサンダーを抱き締めるジナイーダ。
「あなたには申し訳なく思っているわ。でも玩具になんかしていないのよ。好きよ。
あなたが想像してもいないほど」
父とジナイーダの中は、人に知られるようになり、怒った母は別荘を引き払い、アレ
キサンダーもモスクワへ帰ります。
別れ際、ジナイーダに変わらない愛を誓って。
モスクワへ帰ってからもジナイーダのことが忘れられないアレキサンダーは、ある日
父に乗馬に誘われます。
モスクワ川にさしかかった時、父は少し待つように命じて横丁に消えます。かなりの
時間がたち、父の立ち去った方へ歩いていった
アレキサンダーは父とジナイーダとのひそかな逢いびきを見てしまいます。
父に別れを告げられても頷かないジナイーダの手に、父は馬のムチを振り下ろします。
その傷口にそっと自分の唇を押し当てるジナイーダ。
何ともいえず官能的で美しいシーンでした。
それから2ヵ月後、アレキサンダーは大学に入り、それから半年後父はこの世を去り
ました。4年の歳月が流れます。
アレキサンダーは偶然にかつてのジナイーダの取りまきだった詩人のマイダーノフに
再会します。
そしてジナイーダが嫁いでモスクワで暮らしていることを知ります。
アレキサンダーは2週間迷い、ジナイーダを訪ねます。けれどその4日前、ジナイー
ダは難産のため急死していたのでした。
映画を観たのは最近ですが、私がこの原作を読んだのは12歳の時。
21歳のジナイーダははるか遠い大人の女性でした。
当時は感じませんでしたが、同じ年齢を通った時、ジナイーダのような大人の女性に
なれたかというと、なれませんでした。
ジナイーダのような女性は、同性にはとても嫌われるような気がします。
5人の男性をはべらし、更には少年まで。アレキサンダーの父との恋に破れたことも、
自業自得と言われたことでしょう。
でも、恋は不思議です。批判に満ちた眼差しでなく、彼女の傍にいた少年の眼差しで
見ると、こんなにも美しい女神であったことに、驚きを感じます。
恋はなんて素敵なんだろうと思います。
ジナイーダの目から見たアレキサンダーやその父はどう見えたかを想像すると、また
違った美しい風景が見えるのでしょうか。
ジナイーダの一生はなんだったのだろうと、その死に思うアレキサンダー。
ジナイーダは絶望のうち、父を思いながら死んだのでしょうか。
私はそうではないように思います。
フランソワーズ・サガンの『ある微笑』には小悪魔的な少女が登場します。ボーイフ
レンドの叔父と期間限定の恋をして、本気になってしまい、
知的で覚めた大学生だった彼女が、アパルトマンに閉じこもってひたすら電話を待つ
日々が続きます。
何週間が過ぎ電話を待っていると、隣の住人がかけているモーツァルトが聞こえてき
て、ああいい曲だなと思っていると、やっと彼からの電話。
その電話が終わった時、彼女はモーツァルトが最後まで聞けなくて残念だったと思う
のです。
そして気付くのです。自分はたくさんの女性と同じ、単なる恋する女だと。
生涯一度の恋は美しいけれど、たいていは時間が解決してくれるような気がします。
あくまでも私の解釈です。多分こういう気持はアレキサンダーには理解できないでしょ
う。
自分が単なる恋する女だと気付くと、様々な美しいものがもう一度見えてきます。本
当に大切だったものも。
ジナイーダは時が経って、もしかしたらアレキサンダーのことを、本当は好きだった
と思うかもしれません。
もしそうだとしたら、2度と会わないと思うでしょう。でもそんな思いこそ、激しさ
こそはないけれど、いつだって、とても幸せな幸せな気持にしてくれるのです。
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