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  寄宿舎 〜悲しみの天使〜

1966年/フランス/100分
監督:ジャン・ドラノワ
原作:ロジェ・ペルフィット
脚色:ジャン・ドラノワ/ジャン・オーランシュ
台詞:ピエール・ボスト
撮影:クリスチャン・マトラス
音楽:ジャン・プロドロミデス

キャスト
ジョルジュ:フランシス・ラコンブラード
アレクサンドル:ディディエ・オードパン
ルシアン:フランソワ・ルスィア
トレンヌ神父:ミシェル・ブーケ
ローゾン神父:リュシアン・ナット

STORY
フランスのミッション・スクールに、侯爵家の一人息子のジョルジュが編入してくる。男子だけのこの学校はは厳格な宗教的規律のある寄宿学校で、生徒同士の度を過ごした友情は、堅く禁止されていた。公爵家の令息ジョルジュはミサの時に、小羊を抱いた下級生の少年アレクサンドルに目を奪われた。休暇で帰省する列車の中で、2人は初めて話しをし、次第に深い友情で結ばれていく。けれど、2人は温室での密会をローゾン神父に見つけられてしまう。神父にさとされ、強制されたジョルジュは、終業式の日に、アレクサンドルに別れの手紙を残し、両親の元へ帰って行った。何も知らないアレクサンドルは、神父の言葉を聞くと、手紙も読もうとはしなかった。そして、神父の言葉を嘘とは知らない彼は、悲しみと絶望で小さな胸をいっぱいにしながら、爆走する列車から、飛び降りてしまった。


映画使用曲:バッハ 2声のインヴェンション13番イ短調 BWV784
(アレクサンドルがピアノで弾く曲)





少年の純粋で美しい愛の物語です。
なんて美しい物語なのだろうと大感激しました。

フランスの良家の子息ばかりが通う神学校で、公爵家の令息ジョルジュが編入してきます。年は16、7歳です。
生まれも名門ながら、ジョルジュは成績もとても優秀で、真面目な少年でした。
この学校はとても厳格な宗教的規律があり、生徒同士の度を越した友情は禁じられていました。
もっとも真面目なジョルジュにはそんな関係は信じがたいものでした。
友人のルシアンに宛てられた恋の手紙を見つけた時、ジョルジュは神父に相談した後、校長室を訪れます。
訪れた校長室でジョルジュは、愛らしい少年の小さな石像を見かけます。天使にも見えるその像は、少年の姿をした聖タルシシウスでした。
タルシシウスは紀元三世紀のローマの殉教者で、敵に聖餅を与えるのを拒んだため、殺された若者で、タルシシウスの死亡年齢は実際は20歳前後でしたが、その像はとても幼く作られていました。
その像の横の手紙の束に、ルシアンに送られた手紙をジョルジュは押し込みます。その結果ルシアンの特別な友人フェロンは退学になりました。

あるミサの時、ジョルジュは、子羊を抱いた天使のような少年に目が止まります。13歳のその少年はまだあどけなく、羊が暴れると、優しく頬擦りしました。
その少年の愛らしさが忘れられないジョルジュに、その少年と話をするきっかけが訪れます。
休暇で帰省する列車の中で、外を見ていた少年が、目にゴミを入れてしまったのです。ゴミを取ってあげたジョルジュは、その少年の名がアレクサンドルと知ります。

アレクサンドルに好意を持ったジョルジュは礼拝堂で無理やりジョルジュの隣に座ったりと目立つ行動をとり、アレクサンドルもその行為に気付きます。
そんな風に見つめられるのはおそらく初めてなアレクサンドルは、無邪気に顔を隠し、指の間から、そっとジョルジュを盗み見します。

ジョルジュはアレクサンドルに好かれるようにきれいな手紙を送ろうと、詩集から文章を写しとり、送ります。
感動したアレクサンドルは約束した、人の来ない壊れた温室を訪れます。
そして不器用ながらせいいっぱいの、手紙の返事の詩をジョルジュに朗読します。
「素敵な詩をありがとう。落第しないように、勉強をがんばります。来年も一緒ですね。あなたに好かれて嬉しいです。あなたが好きです」

次第に親しくなっていく2人でしたが、あくまでとても純粋で深い友情でした。何度か神父達に仲を疑われますが、賢いジョルジュは逆に相手を陥れたりと、2人の友情を守ります。
けれど温室で2人でいるのをローゾン神父に見つかってしまいます。
ローゾン神父は飴と鞭を使い分けるかのようにジョルジュに接し、退学を宣告した後、厳しすぎたと退学を取り消しますが、その代りに、アレクサンドルがジョルジュに送った手紙をアレクサンドルにつき返すように命じます。
最初はしぶったジョルジュですが、後でアレクサンドルに本当の気持を伝えればいいと、神父にアレクサンドルからの手紙を渡します。
事情を知らないアレクサンドルは、手紙を見せられ絶望し、悲しみと絶望で小さな胸をいっぱいにしながら、爆走する列車から、飛び降りてしまうのでした。


あまりに純粋に人を信じ、愛し、自分を偽らなかったアレクサンドルが痛々しくてなりませんでした。
同時にそれだからこそ、アレクサンドルの無垢な美しさは永遠になってしまいます。
まるで殉教者聖タルシシウスのように。
アレクサンドルが殉じたのは信仰ではなく、愛でした。

恋愛よりは友情に、友情よりは恋愛に近いジョルジュとアレクサンドルの関係。
アレクサンドルは幼い容姿ながら13歳。ジョルジュはおそらく16、7歳。13歳と16歳という年齢は、悲劇的な恋を描いたシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のジュリエットとロミオと同じ年齢でした。
また列車で初めて言葉を交わし、愛の終わりに自ら出会いの場所である列車で命を絶つという悲恋は、駅で出会い、恋人の離れていく心にやはり駅で自ら命を絶った、トルストイの『アンナ・カレーニナ』のカレーニン夫人アンナを思い出しました。
『ロミオとジュリエット』と『アンナ・カレーニナ』はどちらも文学史に残る、恋愛を描いた名作ですが、この映画ではそれらの世界が学校という小さな社会に独特の形で凝縮されています。

先に書いたアレクサンドルがジョルジュに最初に送った手紙「あなたに好かれて嬉しいです。あなたが好きです」
ここでアレクサンドルは「韻を踏んでいる所でおかしい所があるのだけれど、直していい?」と聞きます。
「“あなた”の所を“君”に直したいのだけれど」
フランス語には、2人称に2通りの言い方が存在します。1つは親しい間柄で使用する「君」というような意味の2人称、もう1つは、かしこまった感じのフォーマルな言い方である「あなた,そちら」というような意味の2人称です。フランス語では前者のくだけた2人称を「tu(テュ)」、後者のフォーマルな言い方を「vous(ヴ)」で表します。
“君”でいいよとジョルジュに言われたアレクサンドルは早速「僕は君が好きです」と、口で言いながら書き直します。その言葉はフランス語の聞き取りが苦手な私でも分かりました。
“Je t'aime(ジュ・テーム)”

変声もまだしておらず、美しい少年合唱の賛美歌と共に、羊を抱えて現れたアレクサンドルは、文字通り「天使のような美しさ」でした。
“美少年”といえば、ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』に出演した、当時15歳のビョルン・アンドレセンが思い浮かびます。
ビョルンは、天使というよりもギリシャ神話の中の美少年を思わせました。彫刻のように整った顔立ちで、造作に少しの狂いのない既に完成された美しさでした。
大人と領域に達する前の、ひと時の少年の美しさが、とても印象的でした。
アレクサンドルのディディエ・オードパンはさらに幼く、子どもと少年の狭間にある、やはり二度とは訪れないひと時の美しさせした。

アレクサンドルの普段の服装も半ズボンで、時にひざに擦り傷を作っていて、ジョルジュと会う温室にも、息をきらして走って入ってきます。
悪戯好きな、無邪気な少年そのものでした。
ジョルジュの友人のルシアンと、特別な関係にあった友人フェロンは同級生で、どこか生々しい色気を感じ、フェロンが問答無用で、退学になった理由もそこにあるのでしょう
ジョルジュとアレクサンドルの関係を見咎めたローゾン神父。
ジョルジュは神父に深く反省してると懺悔し、アレクサンドルはあくまで「2人の問題だ」と、首を横に振り続けます。
アレクサンドルのかわいらしい幼い容姿が、子どもらしい強情に見えて、神父は溜息をつきながらも、なんとかなるどろうと思います。
神父は年長のジョルジュを説得して別れさせれば、アレクサンドルはいったん傷ついても、またすぐに元の無邪気な少年に戻ると考えていたのでしょう。
ローゾン神父は、彼なりに小さなアレクサンドルをかわいがっていたのです。

またジョルジュを慕うアレクサンドルの態度も子どもそのもので、ジョルジュが優等を取って、生徒全員が拍手をおくるる中、立ち上がって、更に頭の上で手を叩いて、一生懸命に、一番大きな拍手を送る姿は、とてもかわいらしく、兄を誇る弟のようでした。

けれどアレクサンドルの想いは深く、とても純粋なものでした。

生徒達の間に密かに伝えられていた“血の契り”。それはお互いの体の一部分を傷つけて、血を混ぜ合わせることによって“離れていても二人は永遠に一緒”という意味の儀式でした。
とても艶っぽさを感じる儀式でしたが、温室で血の儀式を行ったとアレクサンドルジョルジュは、清純で、微笑ましくもありました。
しばらくしてジョルジュに、まだ残っているよと傷跡を見せるアレクサンドル。「僕の方はもう大人だから消えたよ」というジョルジュに「違うよ。僕の方がずっと好きだからだよ」と言うアレクサンドルを、後になって思い返すと、痛々しくて仕方がありませんでした。

この作品で一番好きなシーンは、ローゾン神父に関係を見つかって会えない状態なのに、音楽室で盲目の神父にピアノを教わっているジョルジュの元に、アレクサンドルが尋ねてくるシーンです。

勉強については、どの教科も優等なジョルジュは、音楽だけは不得意で、たどたどしく弾いています。
そっと音楽室のドアが開き、アレクサンドルが入ってきます。
気配に「誰かいるのか?」と尋ねる神父。しいっと口に指をやるアレクサンドルに、ジョルジュは神父に「誰もいません」と答えます。
それをいいことにアレクサンドルは、どんどん部屋に入り込み、ピアノを弾くジョルジュの横に立ちます。
ジョルジュは気が散って、下手なピアノが、ますます乱れます。
そんなジョルジュの髪にそっと、手を触れるアレクサンドル。
盲目の神父は気付かず、ついには止まってしまったジョルジュのピアノに、匙をなげます。
音楽室を出て行く神父は、もう少し練習をするというジョルジュに、「上達は望めんぞ」と言い残し去っていきます。
アレクサンドルの大胆な行動を心配するジョルジュに、アレクサンドルはジョルジュが苦戦していたバッハのインヴェンションをいとも簡単に弾きこなします。
勉強が苦手なアレクサンドルが唯一得意なのがピアノでした。
「リズムだよ」と、教師のように偉そうにジョルジュに教えるアレクサンドル。
「どうやってここに来たの?監視があっただろう?」と、ジョルジュが聞きます。
もし、これが『ロミオとジュリエット』の16歳のロミオなら、こう答えるでしょう。
“恋の翼に乗って”
けれどアレクサンドルの答えはとても無邪気でした。
「透明人間になったんだよ」
アレクサンドルが左手、ジョルジュが右手で弾くと、今までまるで弾けなかったジョルジュの音もリズミカルになり、音が重なり合い、一つの美しい音楽を奏でます。
通りかかった盲目の神父が、その美しい音色に聞きほれる姿が印象的でした。
美しい音楽に聞きほれる神父の姿は、規律という眼鏡をかけることなく、2人の関係を見ていたら、とても美しく清らかな結びつきだったという象徴なのかもしれません。

知に生きるのがジョルジュなら、アレクサンドルは音楽=愛に生きる少年でした。
頭が良く、神父達を出し抜く知恵を持っているジョルジュは、その反面、追い詰められることに慣れてはおらず、心ならずもローゾン神父に従い、アレクサンドルの手紙を渡すと言う裏切りをします。
アレクサンドルの部屋にそっと、真実を書いた手紙を残しながら。
疑うことも、悪知恵を働かすことも知らないアレクサンドルは、ジョルジュとの友情は終わったとローゾン神父に聞かされても、最後まで首を横に振り続け、ジョルジュの方は反省し友情を断ち切ったという言葉も信じようとしませんでした。
けれど、ジョルジュから返されたという自分の手紙を見て、初めて動揺を見せます。間違いなく自分の手紙でした。
小さな体全部に広がる絶望を抑え、目は潤みながら、涙をついにこぼしませんでした。
ローゾン神父はアレクサンドルにも手紙を出すように言いますが、アレクサンドルは「僕はいやだ。人は自分のしたいようにすればいい」と言います。
神父もアレクサンドルの反応から、完全に2人の友情は終わったと判断し、あえて強制はしませんでした。
自分の部屋には戻らず、そのまま帰省の列車に乗るアレクサンドル。部屋にはジョルジュからの手紙があったというのに。
列車の窓から、アレクサンドルはジョルジュからの手紙を、破り捨てます。
手紙の欠片は、まるで紙吹雪のように舞って、アレクサンドルの手を離れていきました。
そしてアレクサンドルは自らの意思で、死という選択を取り、その想いの決着をつけるのです。

アレクサンドルの死に、初めて、ジョルジュはアレクサンドルの想いの深さ、自分の想いの深さを知ります。
そしてジョルジュは本の引用ではなく、自分の言葉でアレクサンドルへの想いを綴り、アレクサンドルに語りかけます。
それは、ジョルジュの“知”とアレクサンドルの“愛”が混ざり合い、音楽室で2人が演奏したバッハのように、限りなく美しい言葉でした。


 学校で禁じるなら、残りの人生を友として過ごそう。
 すでに1冊の本を書けるほどの思い出を持った。
 僕らの友情は、君から僕へと手渡された。
 今度は僕がそれを守る。
 君に教えておこう。
 僕らの友情を愛と呼ぶのだよ。