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  めぐりあう時間たち


2002年/アメリカ/1時間55分
監督:スティーヴン・ダルドリー
原作:マイケル・カニングハム
脚色:デイヴッド・ヘア
撮影:シーマス・マクガーヴィ
音楽:フィリップ・グラス
製作:スコット・ルーディン
   ロバート・フォックス

キャスト
ヴァージニア・ウルフ:ニコール・キッドマン
ローラ・ブラウン:ジュリアン・ムーア
クラリッサ・ヴォーン:メリル・ストリープ
リチャード:エド・ハリス
レナード・ウルフ:スティーヴン・ディレイン
ダン・ブラウン:ジョン・C・ライリー

STORY
時を超えて三つのパーティが開催されようとしていた。 一つは1923年イギリスのサセックス、「ダロウェイ夫人」を執筆中のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)が、姉とお茶を楽しむために。 もう一つは1949年ロサンゼルスで、妊婦のローラ(ジュリアン・ムーア)が夫の誕生日のお祝いに。 最後は2001年ニューヨーク。エイズで死を間際にした友人の作家ために編集者のクラリッサ(メリル・ストリープ)が。
三つの1日。共通点は小説の「ダロウェイ夫人」だった。





光の中の闇。その闇は思いもかけずとても深くて、けれど闇に目が慣れると、1人の女性が背筋を伸ばし立っている姿が見えてくる。この映画をそんな風に感じました。
この映画に出てくる女性は3人で、それぞれが光の中にいながら、闇を持っています。同じ闇を持ちながら、闇に立っている時は、1人きりです。

神経衰弱のため、川に身を投げ、自ら命を絶った女流作家ヴァージニア・ウルフ 。
映画は主人公の1人でえある、作家ヴァージニア・ウルフの死から始まります。
第二次世界大戦が始まって間もないイギリスのサセックス、緑広がる美しい場所。
夫に手紙を書き残し、散歩に出かけるかのようにヴァージニアは出かけ、清らかな川に身を沈めていきます。
ゆっくりと川を流れていくニコール・キッドマンのヴァージニアの姿は美しく(実際のヴァージニア・ウルフはその時59歳)、ジョン・エヴァレット・ミレイの絵画「オフィーリア」を思い出しました。

そして物語は別な時へとさかのぼり、または流れていきます。

ヴァージニアの死の18年前の1928年のイギリス、ロンドン郊外のリッチモンド。ヴァージニアは彼女の分身ともいうべき『ダロウェイ夫人』を執筆していました。
イギリスで一番美しい季節、バラの咲く6月の晴れた朝、パーティのために花を買いに行くダロウェイ夫人。

平和な1日。けれど1人の女性の人生全てが集約された1日の物語。

“・・・ダロウェイ夫人は言った。花は私が買ってくるわ”

自らが描く物語と同じような1日がヴァージニアにも始まります。
姉が訪ねてくるので、お茶の準備をしなければ。

そしてヴァージニアの死から10年、『ダロウェイ夫人』を執筆している運命の朝から28年の時を超えた1951年のロサンゼルス。『ダロウェイ夫人』を読む主婦ローラ。彼女には優しい夫と、幼い息子がいて、お腹にもう一つ命をを宿しています。
美しい朝、夫の誕生日。ローラはバースデーケーキを作ろうと考えます。“愛している”という証拠に。

現代2001年の冬のニューヨークの爽やかな朝。
女性編集者のクラリッサは、本の『ダロウェイ夫人』と同じ言葉「花を買ってくるわ」と、同居人のサリーに言って、家を出て行きます。
行ったのはクラリッサの昔からの友人の作家で詩人のリチャード。彼はエイズに侵され、余命いくばくもありませんが、賞を受賞し、クラリッサはそのお祝いのパーティを開こうとしているのです。
病重く、幻聴が聞こえるというリチャードは、クラリッサに“ミセス・ダロウェイ”と呼びかけ「僕のアパートに何年通っている?君の人生は?」と問いかけます。

クラリッサとリチャード、それはヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』の、ダロウェイ夫妻の名前です。
ヴァージニアの時代から時代も場所も季節も、もっとも離れた場所で、『ダロウェイ夫人』の物語がなぞられます。

まったく関係ない場所、時代で、3人の女性は『ダロウェイ夫人』にとらわれていきます。物語は交互に、時には突然映像が切り替わり、3人の1日を追っていきます。

主婦のローラは、息子と作った夫の誕生ケーキは失敗し、ひどい形になります。
そんな時、友人のキティが訪ねてきて、体に腫瘍ができて、入院しなくてはならないことを告げます。
子宮に腫瘍ができたキティはローラの幼い息子、リッチーを見つめ「あなたは幸せね」とローラに言い、泣き出します。
そんなキティを抱きしめ、突然激しいキスを浴びせるローラ。
キティが帰った後、ローラはもう一度ケーキを作り、今度はきれいに仕上がります。
そして用事があるからと、息子のリッチーを隣人に預けると、車で立ち去ります。何故か不安でしょうがないリッチーの手をふりっきて。

1人ホテルにチェックインしたローラはベッドに横たわると、大量の睡眠薬を置き、大きくなったお腹をさすりながら『ダロウェイ夫人』を読みます。

一方ヴァージニアのもとには、予定より1時間も早く、姉とその子どもたちが訪ねてきます。
バラの咲く、自然いっぱいの庭を走り回る子どもたちは、死んだ小鳥を見つけ、ヴァージニアと共にお葬式をします。
一番ヴァージニアになついた女の子がヴァージニアに尋ねます。
「死んだらどこへ行くの?」
「生まれる時にいた場所に戻っていくの」

ベッドに横たわったローラに、水が溢れるシーンが重なります。それは、後に川で入水自殺をするヴァージニアにも重なりました。
生まれてくる場所、母親の体内の羊水にも見えました。

ヴァージニアは呟きます。
“ダロウェイ夫人は死なせない”

はっとしたように、ローラは起き上がり、息子のリッチーを迎えに行きます。

一方神経衰弱のヴァージニアは、姉たちとお茶をしていても、心は飛んでいきます。彼女には、幻聴が聞こえてくるのです。繰り返す自殺未遂。田舎に引っ込んだのも、その治療のためでした。
怪訝な表情の子どもたちに、ヴァージニアの姉ほ言います。
「おば様は幸せなの。別な世界のお友達ちともお話しできるのよ」

早々に帰っていく姉を見て、ヴァージニアは姉に激しいキスをします。

その夜、夫に『ダロウェイ夫人』の続きを話すヴァージニア。
「ダロウェイ夫人は死なせない。その代わり詩人が死ぬの」

その言葉通りに、現代ではクラリッサが、リチャードの死を目にします。

ローラとクラリッサの向こうに、ヴァージニアの眼差しを感じるようでした。
そして反対に、ヴァージニアに聴こえた幻聴は、時を超えてローラとクラリッサではなかったのではと、思いました。

ヴァージニアとローラ、クラリッサには『ダロウェイ夫人』という物語の他に、もう一つ共通点があります。それは“同性愛”でした。
ヴァージニアは姉に。ローラは友人のキティに。それは2人の持つ闇でした。
クラリッサも同居人のサリーは彼女の恋人でしたが、それは彼女の闇ではなく、クラリッサは人工授精で娘を設けていました。

クラリッサについては、時代の違いがあるのでしょう。
けれどクラリッサにもまた闇があり、作家リチャードを支えるということで、自分の存在を確認しているようでした。
かつてリチャードの同性の恋人であり、クラリッサの友人でもあるルイスと再会したクラリッサ。ルイスが3人の昔の楽しかった日々を話すのを聞いて、クラリッサは激しく泣きます。
娘に語るクラリッサ。
「若い頃、ある朝起きて思ったわ。これが幸せの始まりなのね。でも違った。あれこそが幸せだったの」

女性の心と体。1人の人間の中にありながら、体は心と、心と体は、同じ変化をとげるのではありません。
もし体が心と同じだったら、ローラは夫の子どもを生むことはできなかったでしょう。
心が体と同じだったら、ローラは優しい母親であり続けられたはずでした。

ヴァージニアは姉から、ローラはキティから、クラリッサはある1人の女性から「幸せね」と言われます。
その言葉の残酷さに、深い悲しみを覚えました。

ヴァージニアを演じたニコール・キッドマン、ローラのジュリアン・ムーア、クラリッサのメリル・ストリープ、彼女たちの作品はいくつか観ているのに、こんなにも素敵な女優さんだったのかと、今まで観た彼女たちの映画のベスト1となりました。
2003年のアカデミー賞に全員がノミネートされ(ニコール・キッドマンとジュリアン・ムーアは『めぐりあう時間たち』、メリル・ストリープは『アダプテーション』で)、女優として頂点に、光のなかにいるように見える彼女たちにもまた闇があり、「幸せね」と言われて孤独に感じ、『ダロウェイ夫人』の1日を過ごす日があるのではと、思いました。

この映画では、使われる花も美しかったです。
クラリッサがパーティのために買うたくさんの花。クラリッサは真っ白の百合は寂しいと、青のアジサイを選びます。日本では6月の雨に咲くアジサイは寂しい花ではなかったのだと思いました。
花嫁のイメージの純白の百合を選ばなかったこともクラリッサらしいと思います。
ヴァージニアが小鳥のお葬式に捧げたオレンジのバラの不思議な鮮やかさも忘れられません。


“私は、自分の中からひとりで出て来ようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか”
この映画に、ヘッセの『デミアン』の中の言葉を思い出しました。

ヴァージニア、ローラ、クラリッサに出会えたことに感謝します。
ヴァージニアには“ダロウェイ夫人”を死なせなかったことにも、感謝してやみません。