戦場のピアニスト 2002/ポーランド・フランス合作/2時間28分監督:ロマン・ポランスキー 製作:ロマン・ポランスキー ロベール・ベンムッサ アラン・サルド 原作:ウワディスワフ・シュピルマン 脚本:ロナルド・ハーウッド 撮影:パヴェル・エデルマン 音楽:ヴォイチェフ・キラール ショパン バッハ ベートーヴェン キャスト ウワディスワフ・シュピルマン:エイドリアン・ブロディ ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉:トーマス・クレッチマン シュピルマンの父親:フランク・フィンレイ シュピルマンの母親:モーリーン・リップマン ドロタ:エミリア・フォックス ヘンリク:エド・ストッパード STORY 1939年9月。ポーランドはナチスドイツにより陥落し、放送局でピアノ演奏の仕事を していたウワディスワフ・シュピルマンは、 翌年早々に家族と共に市内のユダヤ人居住区(ゲットー)に移り住んだ。ゲットー内 のカフェでピアニストそしてわずかな 生活費を稼いでいたが、2年後の42年にはシュピルマン一家を含む大勢のユダヤ人が 収容所へ送られた。けれどウワディク一人が かろうじて収容所送りを逃れることができた。食うや食わずで生き延びる彼の唯一の 希望は、心の中の音楽だけだった。 重い・・・、やりきれないほど重い、でも素晴らしい、そして完成された作品だと思 います。 夢中になってしまうとか、大好きな作品とはまた違う。何度も繰り返して観るには、 つらい作品です。 でもこれほど心を打たれた作品は、最近ありませんでした。 主人公と共に悲しい運命を辿り、途中で消えてしまった、もしくは語られなかった人々 のエピソードの一つ一つ、 思い出しては悲しみが止まりません。 特に老人や体の不自由な人々の扱いは酷いものでした。 突然押し入ってきたナチ親衛隊達に「立て」と言われて立ち上がれなかった車椅子の 老人、 松葉杖をつきながらナチの将校達の前で言われるがままに踊り、倒れる老人。その他 淘汰されていく老人達が、かわいそうと思う間もなく、 あっという間に画面から消えていき、思い出すと胸が痛みます。 実在のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンは、1939年放送局でピアノ演奏の 仕事をして、その美しい演奏は周囲に 尊敬を受けていましたが、ナチスドイツによるポーランド侵攻により、あらゆる物を 失います。 家も仕事もピアノも、大切な家族、人間としての尊厳でさえも。 映画を観ながらの、私の密やかな楽しみのお菓子。 ユダヤ人居住区から収容所へ送られる際の駅での、シュピルマン家族の、 法外な値段のキャラメルひと粒を家族6人で分けるエピソードの後から、食べられな くなりました。 次々に失われていく命の中で、シュピルマンが生き抜けたのは、天からランダムに落 とされた白い羽が、 たまたま彼の肩に舞い降りてきたような気がします。それはピアノの才能だったり、 運だったり。 でも、ランダムに一斉に黒い羽を落とされてしまった人達がいた歴史は、悲しいです。 その後に生まれる人生、もしくはアメリカなど他の国で生まれていたら、一人一人の 人生、一つ一つの家族の運命は、 全く違っていたのに。 映画のサントラを買おうとして気付きました。この映画はショパンを中心とした既成 の曲以外、新たにこの映画のために 作られた曲はなかったこと。 つまり「○○のテーマ」のようなBGMとして使われた曲はなかったことに、驚きまし た。 あったのは銃、爆撃、押し殺した悲鳴、だからこそ、ほんの僅かに流れるショパンが、 涙が出るほどきれいに思えたような気がしました。 ユダヤ人居住区から脱走し、ポーランド人の友人に提供された隠れ家でさえも、友人 が逮捕されたり爆撃にあったりと居場所を失い、 焼けただれた廃虚の中、目を血走らせ、ひたすら食べものを捜しまわるシュピルマン。 見つけた缶詰めを必死に開けようとしていると、缶詰めが滑り、転がってぴかぴかに 磨かれた革長靴の前で止まります。 それはドイツ軍の大尉でした。 怯えて声もでないシュピルマンに、大尉は何者か尋ねます。 やっとのことでシュピルマンは答えます。 「私はピアニストでした」と。 大尉はシュピルマンにピアノを弾くよう促し、グランドピアノに導きます。 ヒゲぼうぼうの姿となり、見る影もなくやつれ、寒さと飢えに震えているみすぼらし いシュピルマンの手が、鍵盤に置かれた瞬間、魔法のように素早く鍵盤を動き、 美しい曲を紡ぎ出します。 ショパンのバラードの第1番を弾くシュピルマンの姿に、淡い一条の月光が差し、そ れは暗い教会で十字架のキリストに光が差しているように思え、神聖な気がしました。 どんなに、どんなに、弾きたかったことだろうと思うと涙が止まりませんでした。 大尉は自分の家族の写真を机に置く、優しい人でした。 シュピルマンを殺すことなく、引き渡すことなく、食べ物を与え、それがシュピルマ ンの命を救います。 シュピルマンが映画で弾く曲はショパンのノクターンやバラード、ベートーヴェンの 「月光」など、激しさよりも美しい曲が多くて、 優しい眼差しのシュピルマンの人柄が感じられました。 同じショパンの曲でも、ショパンが祖国ポーランドの蹂躙を聞いて作った「革命」や、 ショパンの伝記映画『別れの曲』でやはり ポーランド侵攻のシーンで使われた、激しい「木枯らし」のエチュードではなくて。 シュピルマンは助けられこそすれ、誰かを助けたり、ユダヤ人やポーランドのために 立ち上がった英雄でもありませんでした。 ただの「ピアニスト」でした。 エンドロールに流れる美しい、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大 ポロネーズ」。 エンドロールにこれほど人が帰らなかった映画はありませんでした。演奏に誰もが魅 せられていました。素晴らしかったです。 映画を観た次の日、シュピルマン氏本人の演奏のCDを買いました。 48年と80年にそれぞれ録音されたショパンのノクターン第20番。映画を思い出して、 涙が出ました。
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