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  ベニスに死す

1971年/イタリア・フランス/135分
原作:トーマス・マン
制作・監督:ルキノ・ヴィスコンティ
脚本:ヴィスコンティ,ニコラ・バダルッコ
撮影:パスクァーレ・デ・サンティス
音楽:グスタフ・マーラー(交響曲第三番・第五番)
美術:フェルディナンド・スカルフィオッティ

キャスト
アッシェンバッハ:ダーク・ボガード
タッジオの母:シルバーナ・マンガーノ
タッジオ:ビヨルン・アンドレセン

STORY
作曲家グスタフ・マーラーをモデルにしたといわ れている、ノーベル文学賞 作家トーマス・マンの短編小説を映画化。静養のため水の都ベニスに来たドイツの大 作曲家アッシェンバッハは、 ふと見かけたギリシャ彫刻のように美しいポーランドの少年の容姿に、彼が長い間求 めていた精神的な美と官能的な 美との完全な結合を見い出し、恍惚と苦悩、歓喜と絶望にふるえる。ヴィスコンティ は、原作の設定である小説家を 直接マーラーに模して音楽家とした。全編にマーラーの「交響曲第5番」第4楽章 “アダージェット”が流れ、 官能のうねりをうたいあげる。



映画使用曲:グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第4楽章 アダージェット



恋は、恋をしているその人以外には、時にとても滑稽に見えます。悲しいくらいに。

高名なドイツの作曲家アッシェンバッハは、静養先のベニスに行く途中の船で、とて も奇妙な人間に会います。
一見若者のような恰好の老人。髪を染め、化粧をし、胸に花までつけて、せいいっぱ いお洒落をしていますが、どう見ても 道化師のように見えます。
アッシェンバッハは自分に声をかけてきたその老人に、軽蔑を覚えます。
酔っぱらったような老人は、ろれつのまわらない声でアッシェンバッハにこう言いま した。

「どうぞ良いご旅行を!あなたのかわいいお方によろしく(高笑い)」

ベニスのホテルにつくと、部屋で正装をし妻の写真にキスをすると、サロンへと降り ていきます。立派な紳士ぶりです。
夕食には早過ぎて、アッシェンバッハはソファに腰をおろすと、何気なく周囲を見回 します。

ふと目にとまったのがポーランド人の家族。地味な少女3人と家庭教師風の女性、そ して・・・。
アッシェンバッハは目を見張ります。
その中に14歳ほどの、とても美しい少年がいたのです。

“青白く優雅にうちとけない顔は蜂蜜色の髪にとりかこまれ、鼻は額からまっすぐ通 り、口元は愛らしく、優しい 神々しい真面目さがあって、ギリシア最盛期の彫刻作品を思わせた”

私は映画の原作を先に読んでいましたが、本には少年の美貌を上記のように記してい ました。
映画の中のその少年は、驚くことに、原作の通りの容姿をしていました。

アッシェンバッハはその少年の美しさに、自分でも知らず目で追うようになってしま います。
ホテルで、海岸で。
少年達の話すポーランド語は、アッシェンバッハには分かりません。
だから音楽のように聞こえるのです。
家族の呼ぶ少年の名前も。

“タッジオ”

アッシェンバッハはタッジオへの思いや、ベニスの重苦しい天候に絶えきれず、早々 にホテルを出ようとします。
ところが駅に着くと、アッシェンバッハの荷物は手違いでドイツではなくスイスに行っ てしまったというのです。
荷物が戻ってくるまでベニスにいるしかない、配達の係に怒りをぶつけながらも、ベ ニスに向かう船で、アッシェンバッハは 幸せそうに笑っていました。

いつしかタッジオもアッシェンバッハの眼差しに気付いているようです。
驚くことに、わざわざアッシェンバッハの目につく所に来たり、時には微笑みかけた りもします。

サロンで1人“エリーゼのために”を弾くタッジオ。
アッシェンバッハはがく然とします。
それはかつて自分が買おうとした娼婦が弾いていたものでした。

原作にないこのシーンはとても印象的でした。
アッシェンバッハは、娼婦を結局抱くことはせず、お金だけを渡して帰っているので す。
それなのにタッジオには、精神愛以上のものを求めてしまったのでしょうか。
けれどタッジオをそんなにも想いながら、アッシェンバッハは一度としてタッジオと 言葉を交わしていないのです。


ある日、アッシェンバッハは、ベニスで何かが起こっていることに気付きます。
町の至る所でまかれている消毒液。壁のあちこちに貼られている衛生局の掲示。

ホテルの支配人は、何もないと言います。
ところが銀行で同じとを銀行員に聞くと、最初は支配人と同じことを言っていた銀行 員は、隅の方にアッシェンバッハを 連れていくと言いました。

伝染病のコレラがベニスで蔓延していると。

アッシェンバッハは悩みます。
けれどタッジオがいる限り、ベニスを離れられないのです。
絶望にアッシェンバッハは、自分自身を笑います。


ある日、床屋に行ったアッシェンバッハは、鏡に映る自分を見て年をとったなあと思 います。
それを知った、やたらに愛想のいい床屋の主人は若返らせてあげますと、アッシェン バッハの髪を染め、化粧までほどこし、 更に赤い花までつけてくれました。
できあがったアッシェンバッハの姿は、船で会ったあの老人とそっくりでした。


夏も終わりに近付きます。
化粧をしたアッシェンバッハは寒気がするにも関わらず、タッジオの姿を求めて海岸 に行きます。
熱で髪の染め粉が黒くだらだらとアッシェンバッハの顔をつたっていきます。
海辺で地平線に向かって手を伸ばす彫像のように美しいタッジオを、アッシェンバッ ハは最後まで見続けるのでした。


ただ一言も言葉を交わさない同性の子どもに恋をした初老の大作曲家。
音楽家と成功し、自分の美を極めていたはずなのに、アッシェンバッハは最後の最後 に、自然が作り上げた美に負ける のです。

今までの知識も、名声もプライドも、何もかも恋の前では、無となってしまいます。
自分でも愚かだと分かっていて、想いは止まらないのです。
アッシェンバッハの恋は見ていて苦しくなりました。
それなのに、気持が分かり過ぎるくらい分かるのです。

この映画には素晴らしい原作があります。
原作があるものは、そのまま描いては原作を超えることはできず、時には原作を知ら ない人には説明不足で退屈に 感じます。かといって脚色し、原作にはない映画ならではのシーンを加えると、原作 ファンが失望することがあります。

この映画はほぼ原作通りに描きながら、原作の設定である小説家を音楽家にし、目で 読むだけの本では得られない “音楽”で、その芸術家を表現しました。

そして美少年タッジオ役のピョルン・アンデルセンを、ヴィスコンティ監督はヨーロッ パを周り各地でオーディション をして決めたそうです。
原作通りの、それ以上の美を映画で見ました。

私はアッシェンバッハの恋を本当は幸福だと思っています。
恋の絶頂期に、しかも自分の恋する相手を見つめながら、死んで いけたのですから。