絵画:ウォルター・クレイン 「月桂樹(ゲッケイジュ)」 『トロイラスとクレシダ』より
MIDI:パラディス 「シチリアーノ」
Walter Crane, Laurel from "Troilus and Cressida".
MIDI : Paradis, Sicilienne.
ULYSSES Prerogative of age, crowns, sceptres, laurels,
But by degree, stand in authentic place?
(Troilus and Cressida, Act 1. Scene 3. by William Shakespeare)
ユリシーズ
長上の特権も、王冠、王笏、月桂樹の特権も、
位階によらなければ、どうして正当な地位を保ち得ましょうか?
(ウィリアム・シェイクスピア 『トロイラスとクレシダ』 第1幕第3場) |
V. W. Bromley, Troilus and Cressida.
『トロイラスとクレシダ』(初演 1602 初版1609)は、チョーサーの『トロイラスとクリセイデ』、ホメロスの『イリアス』を元に作られました。
トロイ戦争を背景にしたこの劇を、喜劇とみるか悲劇と見るか、古くから意見が別れ、「問題劇」と呼ばれてています。
古代のトロイの都、王プライアム(プリアモス)には、5人の息子たちがいましたが、そのの中の1人、王子パリスは、ギリシア軍の総大将であるアガメムノンの弟、スパルタ王メネレイアス(メネラオス)から、美貌の妻ヘレンを奪いとってしまいました。
ギリシア軍は国を挙げてトロイを攻撃します。それがトロイ戦争です。
戦いが始まってから、何の進展もなく7年が過ぎ去りました。
トロイの王子の1人、トロイラスは神官カルカスの娘クレシダに、戦意も喪失するほど、激しい恋心を抱いていました。そんなトロイラスとクレシダを、クレシダの叔父パンダラスが取持とうとします。クレシダもトロイラスに惹かれていましたが、想いを受け入れたら彼の恋心がさめるのではと、なかなかその想いを外には出しませんでした。
ただクレシダの、その想いの隠し方が、これまでのシェイクスピア作品のヒロインとは違い、かなりしたかたです。
CRESSIDA
Women are angels, wooing:
Things won are done; joy's soul lies in the doing.
(Troilus and Cressida Act
1, Scene 2)
クレシダ
女は口説かれているうちが花。
落ちたらそれでおしまい。喜びは口説かれているあいだだけ。
(『トロイラスとクレシダ』 第1幕第2場)
ギリシア側から、ヘレンを返せば無条件で終戦するという知らせが届きました。トロイ陣営は議論し、第一王子ヘクター(ヘクトル)はヘレンを返すことを主張しますが、トロイラスは名誉のためと言ってそれに反対します。もちろんパリスもヘレンを手放す気はなく、ヘクターも名誉という言葉に心を動かされ、ヘレン返還の拒否に賛同しました。
パンダラスの取持ちで、ようやくトロイラスとクレシダは結ばれます。ところがギリシア軍との捕虜交換で、クレシダがギリシア側に引き渡されてしまいます。
クレシダとトロイラスは再会を約束し、クレシダは手袋を、トロイラスは片袖を渡しました。
王子ヘクターとギリシア軍の勇者の1人エイジャックス(アイアス)との一騎打ちが行われますが(ヘクターは本当はギリシア一の勇者アキリーズ(アキレス)と決闘したかった)、エイジャックスは半分はトロイの血を引く、ヘクターの従兄妹で、ヘクターは血縁同士が争うことはないと戦いを中止してしまいます。
その立派さに感動したギリシア軍はヘクターを招待し、盛大な宴を催します。トロイラスもついていき、クレシダを探しました。
やっとクレシダを見つけますが、彼女はなんとギリシアの将軍ダイオミーディーズと親しげに話します。トロイラスの知らない淫蕩な彼女の顔。そしてトロイラスが見てるとも知らず、クレシダは愛の誓いを交わし交換した、あの片袖を、ダイオミーディーズに渡してしまったのです。
やがて戦争が再開され、復習の鬼となったトロイラスは、あの袖を兜につけると言っていたダイアミーディーズを倒そうと、復讐心を燃え上がらせるのでした。
最初に掲げた、ユリシーズの月桂樹のセリフは、ギリシャの智将ユリシーズ(オデッセウス)が、秩序位階を強調して有名になった演説の一部です。
彼はギシシアに引き渡されたクレシダを見て、すぐに彼女の淫蕩な本性を見抜きます。また、この戯曲には出てきませんが、トロイを一夜にして滅ぼした、かの木馬を考案したのも彼でした。
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作者不詳 『トロイラスとクレシダ』より 「クレシダ」
anony, Cressida from "Troilus and Cressida", c.1860.
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