喜多川歌麿 「難波屋おきた」
MIDI:ショパン 夜想曲第9番
Kitagawa Utamaro (1753?-1806) O-Kita of Naniwaya, 1795-96.
MIDI : F.Chopin  Nocturne No.9 Op.32-1 in B Major.



 この「難波屋おきた」は、江戸の美人6人を描いた絵画の中の1枚です。
 おきたは浅草の水茶屋の看板娘で、歌麿の錦絵には、「当時三美人」(1793)など、しばしば描かれました。運んでい茶碗には、難波屋の桐の紋が入っています。
 下の2枚の絵画のモデルもおきたさんです。おきたさんを探すにはまず鼻、すっと通った鼻ですが、真ん中が少しでっぱっています。そして「姿見七人化粧」では、難波屋の桐の紋の入った着物を着ています。「名所腰掛八景・手鏡」は、「難波屋おきた」と同じ時に描かれたのでしょう。着物、櫛が同じです。
 絵画の中の女性の年齢はよく分かりませんが、歌麿の絵画の中のおきたさんはおそらく16〜18歳。こういう美人娘のいる茶屋は繁盛したそうです。

 絵画について、お話を戻します。
 「難波屋おきた」を含めた美人画のシリーズには、描かれた女性の名前が、コマ絵の中の判じ絵で表されています。それは、寛政5年(1793)、遊女をのぞく女性の名前を書くことが禁じられたための、苦肉の策でした。
 画面の左上のコマ絵を見てみましょう。
 菜(な)がニ把(にわ)、矢(や)、沖(おき)、田(た)、“なにわやおきた”と読めます。
 けれどこうした判じ絵も寛政8年に禁じられてしまいました。

難波屋おきた (O-Kita of Naniwaya)
名所腰掛八景・手鏡 姿見七人化粧(1792-93)