絵画:ローレンス・アルマ=タデマ 「ティトゥスの凱旋」 (1885)
MIDI:モーツァルト 歌劇『ティトゥスの慈悲』より 序曲
Sir Lawrence Alma-Tadema The Triumph of Titus 1885
MIDI : Wolfgang Amadeus Mozart Overture from La clemenza Di Tito, K.621


古代ローマ皇帝ティトゥス(39-81 在位 79-81)は、フルネームが父ウェスパシアヌス帝と同じティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌスであったため、父の方はウェスパシアヌス、息子はティトゥスと呼ばれています。

元々は一般的な騎士の家に生まれましたが、父ウェスパシアヌスが将軍になったため、恵まれた環境でで育ちました。
父親の任地へ同行し軍団司令官として経験を積み、父がユダヤの反乱鎮圧の司令官に任命されるとこれに従って、戦功を重ねました。
父がクーデターを起こし皇帝に即位すると、反乱鎮圧軍の司令官となって、 エルサレムを占領するなど大きな戦果をあげました。 そして反乱の鎮圧が一区切りつくと、父のいるローマへと凱旋し、父と共に帝国を統治しました。
その凱旋を描いたのが、この『ティトゥスの凱旋』です。

このティトゥスを題材に、モーツァルトはオペラ『ティトゥスの慈悲』を作曲しました。
それがこのページで、流れている音楽です。

ティトゥスの即位直後にヴェスヴィオ火山の噴火が起こり、ポンペイとヘルクラネウムが被災しました。
皇帝ティトゥスは、私財を投じて被災地の救済にあたりました。
けれどその役割を終えると、彼はあっけなく病でこの世を去りました。
たった2年の在位でしたが、かのコロッセウムが完成したのは、この時期でした。

41歳という短い短い生涯でしたが、ティトゥスは、情熱的な恋愛をしました。
それは、ユダヤの反乱鎮圧の時に出会った、ユダヤの王女ベレニケ(オペラではベレニス)にでした。。
ティトゥスは彼女を妃にしようと、ローマに連れて帰りました。
ところがユダヤの王女に対して、ローマ市民の反感があまりにも強かったので、ベレニケはティトゥスの父ウェスパシアヌス帝の命により、ユダヤへ返されてしまいます。

ティトゥスは父の命を守り、ベレニケと別れたものの、彼女が忘れられず、その後皇帝になっても、妃を娶らず、愛人の一人も置きませんでした。
そんなにも思いながら、最高権力者である皇帝になり、ベレニケが再びローマを訪れた時、ティトゥスは市民たちの反発を考慮して、彼女を傍へ置こうとはしなかったのです。
あくまで、ローマのために生き、死んだ皇帝でした。
この『ティトゥスの凱旋』の中で、ティトゥスが手を取っている女性が、ティトゥスの最愛の人ベレニケでしょう。