絵画:ヤン・トーマス 「芝居の衣装をつけた皇后マルガリータ・テレサ」


この絵画は、ベラスケスの3枚の肖像画と同じく、ウィーン美術史美術館蔵のものです。
神聖ローマ皇帝レオポルド1世に嫁いでからの絵画で、同じように芝居の衣装をつけたレオポルド1世の絵画と対になっています。

マルガリータが生まれ育ったマドリードを後にして、婚礼の旅に出たのは1666年、14歳の時でした。
その旅は、名門スペイン・ハプスブルク家の姫君らしく、豪華なものでした。
大勢の従者を連れ、馬車を連ねてバルセロナに。バルセロナの港から、34隻の護衛艦と共にイタリアのジェノバに。そして陸路ミラノ、プレシアを経由して、ようやくウィーンに到着し、盛大な歓迎を受けました。

嫁いだマルガリータ・マリア・テレサ王女は、名もドイツ風に改め皇妃マルガレータ・マリア・テレジアとなります。
16歳の時に生んだフェルディナント・ヴェンツェルを始め、男女2人ずつの4人の子どもを生みましたが、長女のマリア・アントニア皇女を抜かして、皆1年もたたずして亡くなってしまいました。
そして生まれて間もなくして亡くなる次女マリア・アンナ・アントニア皇女を生んだ後、体調を崩していたマルガレータ皇妃は、1673年、22歳の若さで亡くなってしまいます。

政略結婚の続く名門の王家。その家系は脆弱を極めていました。
マルガリータの両親、フェリペ4世とマリアーナは伯父と姪という近親婚でした。
マリアーナは、マルガリータが嫁ぐウィーンのハプスブルク家の皇女で、母はフェリペ4世の妹マリア・アンナ、弟はマルガリータの夫レオポルド1世でした。
マルガリータにとって、レオポルド1世は、父方の従兄、母方の叔父ということになります。
王家の繁栄のはずの結婚は、皮肉なことに子孫の繁栄をはばんでいたのです。

スペイン王家はマルガリータの弟、カルロス2世が王となり、2度結婚しますが、子どもに恵まれず、1700年カルロス2世の死で、ヨーロッパ最大の名門スペイン・ハプスブルク家は滅びました。

カルロス2世の死後、12年に渡り、スペイン敬称戦争が繰り広げられました。
時期王の候補になったのは、マルガリータの孫にあたる王子でしたが、結局若くして亡くなり、王位は継承できませんでした。
そしてスペイン王家は、フランスのルイ14世に嫁いだマルガリータの母違いの姉、マリア・テレーサの孫が継ぎ、フェリペ4世としてボルボン王家(ブルボン王家のスペイン語読み)に受け継がれていくのです。