絵画:ドルーエ 「マリー・アントワネット」
François-Hubert Drouais, Marie Antoinette, 1773.
MIDI:ヘンデル 『水上の音楽』より アラ・ホーンパイプ
G.F.Händel, Water Music Suite No.2 in D, HWV.349, Alla hornpipe.
「妃殿下、ここには妃殿下に恋する20万人の人々がおります」
1773年6月8日。
結婚から3年も経ち、王太子妃夫妻は、盛大な行列と共に、初めてパリを公式訪問しました。
ヴェルサイユから、パリまでは、馬車で約2時間の距離で、マリー・アントワネットは、堅苦しく陰気なヴィルサイユにうんざりし、明るく華やかなパリに憧れ、訪問を待ち望んでいました。
ところが、宮廷のしきたりでは、王太子夫妻の首都訪問は、国王の許可を得なければならず、ルイ15世は、若い王太子夫妻が民衆に人気なことを妬み、なかなか許可しようとしませんでした。
最初はおとなしく宮廷規約に従っていたマリー・アントワネットでしたが、ついに我慢しきれず、国王に直に願い出ました。そして、孫娘に甘いルイ15世の許可を取りつけたのでした。
パリ訪問は素晴らしいものでした。
どこに行っても歓迎の嵐で、チュイルリー宮殿のバルコニーでは、ハンカチや帽子を振って歓迎してくれる群衆のために、2人は10回も姿を現さなくてはなりませんでした。
「まあ、何という人でしょう!」
チュイルリー宮殿のバルコニーに立ち、自分たちを見るために集まった大勢の民衆を見下ろしたマリー・アントワネットは、驚きの声をあげました。
「妃殿下、ここには妃殿下に恋する20万人の人々がおります」
マリー・アントワネットに、そばに控えていた、パリの軍管区司令官、ド・ブリサック元帥が、こう言いました。
“お母さま、先週の火曜日には、生涯忘れることのできない祝典がございました。
私たちはパリ入りをしたのです。
栄誉という点では、私たちは想像しうる限りのあらゆる栄誉を受け、こうしたことはすべて、ひじょうに嬉しいことではありますけれども、私をもっとも感動させたことではありません。
もっとも心を打たれたのは、あの貧しい民衆の好意と優しさです。
彼らは税金で苦しんでいるというのに、私たちを見る喜びに興奮してくれたのです”
マリー・アントワネットが、母マリア・テレジアに、その時の喜びと興奮について書いた手紙です。
もしアントワネットが、後に何度も訪れるパリの華やかさだけでなく、自分を歓呼の声で迎えてくれた、貧しい民衆こそ、見てあげていたらと、思わずにはいられない、今は悲しい、幸せな手紙です。
“こんなにも格安に民衆の友情を手に入れられるというのは、なんと幸せなことでしょう!
ともかく、これほど貴重なものは何もありません。
私ははそのことを心から感じましたし、今後も決して忘れはしないでしょう”
王太子妃マリー・アントワネットが、大勢の国民の大歓迎を受けた、チュイルリー宮殿。
16年後の1789年、王妃マリー・アントワネットは、自分を歓迎してくれた同じ国民から罵詈雑言を浴び、夫や家族と共にヴェルサイユを追われ、このチュイルリー宮殿に住むことになるのです。
このページに飾ったマリー・アントワネットの絵画は、1773年の、国民に誰より愛された、チャーミングな王太子妃の肖像です。
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チュイルリー宮殿(1843年)
Tuileries Palace, 1843.
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