絵画:J・デュクルー 「14歳のマリー・アントワネット」
Joseph Ducreux, Marie-Antoinette at the age of 14, 1769.


音楽:ヘンデル フルートソナタ アレグロ
G.F.Handel, Flute Sonata, Allegro.


 最初に結婚話が持ち上がってから6年、1769年6月、フランスから正式な公文書が送られ、結婚式は翌年1770年5月16日と決められました。
 けれど、これで一安心というわけにはいきませんでした。
 未来のフランス王妃アントワネットは、お転婆で遊び好きで、少々怠け者。頭もよく優れた資質に恵まれながらも、気が散りやすく、集中力に欠け、何事につけ、まじめに考えるのを好まない子どもでした。
 勉強の方も惨澹たるもの。国事に多忙で、末娘の教育に目が行き届かなかったマリア・テレジアを、「13歳になっても、フランス語もドイツ語も書けないし、歴史のごく初歩的な知識も持ち合わせず、一般的な教育も全く不十分」と嘆かせました。

 けれど、結婚の日は待っていてくれません。マリア・テレジアは娘を大急ぎで「教養ある貴婦人」にするため、優れた教師を集めました。大舞踊家ノヴェルに踊りを、音楽はウィーン宮廷歌劇場の楽長グルック、イタリア語はローマ生まれの宮廷詩人メタスタシオを。
 フランス語は、ウィーンを巡業中の、フランスの劇団の俳優2名が指名されましたが、フランス側から抗議があり、未来の王妃に相応しい、「ソルボンヌの博士」ヴェルモン神父が、オーストリアに派遣されました。