絵画:シャルパンティエ・ル・ヴィユ 「未来のフランス王妃 オーストリア皇女マリー・アントワネット」
Charpentier
Jean-Baptiste, Marie-Antoinette, Archduchess of Austria, future Queen of
France.
音楽:バッハ チェンバロ協奏曲第5番 第2楽章 ラルゴ(アリオーソ)
J.S.Bach,
Keyboard Concerto No. 5 in F-, BWV1056, Largo.
アントワネットが嫁ぐ日が近づいてくると、マリア・テレジアは不安に襲われます。オーストリアの女帝としてではなく、母として、本当にこれでよかったのだろうかと。
アントワネットが嫁ぐ前の最後の2ヶ月間、マリア・テレジアは娘を自分の部屋に呼び寄せ、一緒に暮らさせました。少しでも長く一緒にいられるようにと。
1770年4月19日、ウィーンのアウグスティヌス教会で代理結婚式が行われました。この教会は、アントワネットが生まれた時に洗礼を受けた教会でした。代理の花婿は、アントワネットの一つ上の兄、フェルディナンド大公がつとめました。
その2日後、4月21日、アントワネットはついにフランスに向かって出発しました。
マリア・テレジアはアントワネットのために心得書を書き、これを母だと思って毎月21日に、必ず読み返すようにと渡しました。
そしてこれを最後に、アントワネットとマリア・テレジア母娘は、二度と会うことはありませんでした。
マリア・テレジアは亡くなる最後の瞬間まで、娘のことを心配し、祈りました。アントワネットもまた生涯、母を愛し、亡くなる最後の瞬間まで、マリア・テレジアの娘であることを誇りに思っていました。
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マリア・テレジア
Maria Theresia
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