山のあなた
     
カール・ブッセ
     上田敏訳 『海潮音』より

山のあなたの空遠く

さいはひ」住むと人のいふ。

ああ、われひととめゆきて、

涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く

さいはひ」住むと人のいふ。



Über den Bergen
                
Karl Busse

Über den Bergen weit zu wandern      

Sagen die Leute, wohnt das Glück.      

Ach, und ich ging im Schwarme der andern, 

kam mit verweinten Augen zurück.

Über den Bergen weti weti drüben,

Sagen die Leute, wohnt das Glück.



       


カール・ブッセ(Carl Busse,1872-1918)はドイツ新ロマン派の詩人であり、作家でした。日本では、上田敏訳の「山のあなた」(明治36年「万年筆」初出、38年の翻訳詩集『海潮音』所収)の作者として有名です。

ずっと“幸せ”を捜し求め続けてきた。
でも、“幸せ”は見つからなかった。
それはとても悲しいことだったけれど、
でも“幸せ”がないというわけではない。
どこかに──、どこかに、きっとあるんだよ。

せつなくて、優しい詩です。“幸せ”を求め続けるのはだれでも同じです。

── われひとと尋めゆきて
私と同じように、“幸せ”を探しているたくさんの人がいた。
でもやっぱり見つからなかった。

メーテルリンクの児童文学『青い鳥』で、幸せの青い鳥を求めて、幼い兄弟チルチルとミチルは旅をします。
けれど過去の国、未来の国、夜の国など、さまざまな場所を遠く旅して、青い鳥を見つけたのは自分の家でした。

この「山のあなた」の詩に続きがあるのなら、『青い鳥』のようであればいいなと思います。
幸せを求め続けて、とても大きな幸せを手に入れられれば、こんな素敵な人生はないのでしょうけれど。
でも“涙さしぐみ、かへりきぬ”人が、ほとんどの人でしょう。だからこそ、この詩が心をうち、愛され続けるのでしょう。

けれど、この詩はせつないだけでなく、とても優く感じます。
“山のあなた”という言葉が好きです。
小さな子どもが母親や祖母に「幸せってどこにあるの?」と聞いて、答えてくれたような気がします。

「幸せってどこにあるの?」
「ずっと遠くの山の向こうよ」

「友だちと行ったよ。でもなんにもなかった」
「あんな高い山まで登れたの?すごいわね」
「だって、“幸せ”があるって言ったから」
「あの山のもっと向こうにあるのね。あなたがもっと大きくなったらきっと見つかるわ」

この会話の中に、幸せはいくつあるでしょうか?
優しい母、友人、勇気、夢…。






絵画:マックスフィールド・パリッシュ 「朝」