集 会  「10月はたそがれの国」(創元推理文庫)より
レイ・ブラッドベリ




「集会」は、幻想文学の第一人者、SF文学の抒情詩人と言われる、アメリカの作家レイ・ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国」の中の一編で、ハロウィンを題材にした作品です。

万聖節の宵祭(ハロウィン)を明日に控えた日、体の弱い少年、ティモシーの家には、世界中から一族が集まってきます。
みんな不思議な力を持った人ばかり。

ティモシーと仲の良い妹シシーは、子どもなのに特別な力が強くて、ベッドに横たわって、目をつぶっているだけで、好きなところに飛んでは、一族が来る様子をティモシーに教えてくれます。
空を飛んだり、或いはオオカミに姿を変えているものもいます。

そのうちにシシーは眠ってしまい、家中は大忙しです。
ティモシーは居場所がなくなってしまいます。
不思議な一族の中で、ティモシーはその力もなく、浮いた存在でした。
けれどそんなティモシーが主人公だからこそ、感情移入をして、この不思議な世界を楽しむことが出来ました。

血が嫌いなティモシー。
暗い所が嫌いなティモシー。

ティモシーは一生懸命に黒い悪魔に祈りを捧げます。
「お願いします。僕を早く大きくしてください。家族と同じような体になれるようにしてください」



ティモシーの母さんが逆祈祷を捧げ、父さんが黒ミサを読みます。

夜中になると、嵐が家を叩き、稲妻が光って、ドアが大きな音を立てて、たくさんの翼のざわめきが聞こえて、お客達が入ってきます。

その賑やかさや華やかな雰囲気は、幻想的で美しく、バレエの「くるみ割り人形」(原作はホフマン)のクリスマス・パーティを思い出しました。

お客達の中にはティモシーが大好きなエナー叔父さんも来ました。
大喜びで飛びついたティモシーを、エナー叔父さんは抱き上げ、「お前にも翼があるんだよ」と言うと、突然ティモシーを空中に放り投げました。
その途端、ティモシーの肩には翼が生え、辺りを飛び回ることが出来ました。
それは叔父さんの力だったけれど、ティモシーは嬉しくて仕方がありませんでした。


様々な力を持った一族が集まると、ティモシーはますます、自分の非力さが嫌になってきます。
一度でもいいから、みんなを驚かせて、自分の存在を認めてほしいと思いました。

何をしたらいいかと、2階で1人眠りながたシシーに相談します。
シシーは、体は眠っていたけれど、心を飛ばして、ずっとパーティに参加していたのです。

「大丈夫よ、目をつぶって」

心配そうなティモシーに、シシーは微笑むと、ティモシーの中に入ってきます。




1階に戻ったティモシーは突然積極的になり、一族の前で、赤い酒を一挙に飲みほし、気の効いた言葉を言い始め、周りを驚かせます。

ついには、「僕は飛べるんですよ!」と飛び上がり、一族みんなの上をすごいスピードで飛び回ります。
みんな感心するなか、母さんだけが、ティモシーの異変に気付きます。

「おやめ、ティモシー!」

我に返ったティモシーは落下し、全部シシーがやったと悲鳴をあげます。
エナー叔父さんの力で飛んだ時とは大違いで、ティモシーは恐怖に震えます。

一族は笑い出し、シシーを褒めるために2階へ行ってしまいます。


「シシー、おまえなんか大きらいだ!」
泣きながら飛び出したティモシーを、エナー叔父さんが探しに来てくれます。
エナー叔父さんがティモシーに言った言葉が印象的です。

「腹を立てるんじゃsないよ、甥のティモシー! みんなそれぞれ、その生き方がある。おまえだってとりえはりっぱにある。ずいぶん豊富にあるんだ。この世はわれわれにとって死んでいる。その証拠はたくさん見てきた。うそじゃないんだぜ。いちばん少ない生き方をする者が、いちばん豊富に生きることになる。価値が少ないなんて考えるんじゃないよ。ティモシー。この言葉、忘れるな」

エナー叔父さんに連れてかえられ、ハロウィンの楽しい夜は続き、ティモシーは少し元気になります。


夜が明けみんなは歌を歌い、次々に帰っていきます。

ティモシーもお別れの歌を歌います。
ティモシーは、知らないはずの歌が、スムーズに堂々と立派に歌えて、びっくりしますが、それは、シシーのおかげだと気付きます。
歌いながら優しい気持ちになり、ティモシーは小声で「ありがとう、シシー。もう恨んでいないよ」と、小声で言います。





一族は何年も先の集会で会うことを約束に、次々に帰って行きます。
それを見ながら、ティモシーは、次の集会に自分は生きているのだろうかと思うのです。

そしてティモシーは鏡に映った自分に青白い影を見ます。

そこに母さんが来て言いました。


「わたしたちは、みんなおまえを愛しているよ。どんなにおまえがわたしたちと変わっていても。また、いつかおまえが、わたしたちのそばからはなれて、遠いところへ行ってしまうにしても」

そして母さんは続けます。

「もしもおまえが死んだら、おまえの骨には、だれも手をつけさせない。万聖節の宵祭に、わたしはきっとやってきて、おまえが安らかに眠れるように、気をつけてあげるつもりなのさ」


おそらくティモシーは、そう長くは生きないでしょう。
次に一族が集まるときには、ティモシーが予感したように、彼の姿はないでしょう。

けれど一族は、特に母さんやエナー叔父さんやシシーは、生涯ティモシーを忘れることなく、愛し続けるでしょう。
死んでいくティモシーよりも、残される者の方に孤独を感じます。

いつかシシーは立派な魔女になり、どんなに遠くに心を飛ばせても、愛する兄ティモシーの体には、入ることはできなくなるのです。
この物語を読んでいて、一族のパーティで、シシーの影法師と踊っているティモシーを想像しましたが、シシーはいつか影法師さえも捕まえることが出来なくなってしまうのです。

また一族にとって、この世界は狭いものに変わり、1年に一度だった集会が、何十年に一度になっているのです。
彼らにとってもこの世界は生きにくいものとなっているのでしょう。


この物語の闇と光の交差具合が素晴らしいです。
長い時を生きるものたちと、少年の死の影の対比。
華やかなパーティとティモシーの孤独。
華麗な夜と静かな夜明け。

この不思議な一族にとっての光は太陽ではなく月光や稲光ですが。
けれど闇より光に孤独を感じずにいられません。

永遠なんてものはあるのだろうか?と思いつつ、ブラッドベリの一夜のハロウィンの美酒に酔ってしまいました。