絵画:ローレンス・アルマ=タデマ 「アントニーとクレオパトラ」(1883)
Sir Lawrence Alma-Tadema Antony and Cleopatra 1883
MIDI:サン=サーンス オペラ『サムソンとデリラ』より
「あなたの声に私の心も開かれていく」
絵画は「アントニーとクレオパトラ(Antony and
Cleopatra)」(1883)です。
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の史劇『アントニーとクレオパトラ』は、 1606年に初演されました。
舞台は紀元前40年から30年までの、共和制最後のローマとエジプト。 その4年前の紀元前44年にローマの英雄ジュリアス・シーザーが暗殺され、 その後アントニー、レピダス、シーザーの甥のオクテイヴィアス・シーザーの三執政官が、 ローマおよび近隣諸国を支配下に治めていました。
けれどかつては名将といわれたアントニーは、遠くローマを離れ、 アレクサンドリアでエジプトの女王クレオパトラとの愛の深淵に身をおいていました。
けれど妻の死とポンペイアスがローマに反旗を翻したのを知り、 やっとアントニーはローマに戻りました。 三執政官の1人オクテイヴィアス・シーザーとアントニーは対立していましたが、 アントニーはシーザーの姉オクテイヴィアと再婚して、 両者の関係はしばらくうまくいきますが、 シーザーは三執政の1人レピダスを監禁し、全世界を支配しようとします。 アントニーはそれが許せず、クレオパトラの元へ戻ります。
エジプトのアントニーとクレオパトラのもとに、ローマ軍が迫ります。 陸の将であったアントニーは、恋で盲目になり、明らかに不利な海戦を選んでしまいます。 美貌だけではなく知性もあったクレオパトラでしたが、戦争については子ども同然でした。 アントニー軍は不利な条件にも関わらず、善戦しましたが、 戦いの恐ろしさに、クレオパトラの船は逃げ出してしまいます。 そしてアントニーは、愛する女性を追って、退却してしまうのです。
破滅が迫っていました。
激しい戦闘の息遣いと官能的な愛の悦び─ アントニーとクレオパトラ。 二つのの荒々しくも、輝かしい生が、 次第に暗い死の影に覆われていきます。
“Give
me my robe, put on my crown, I have. Immortal longings in
me.” (衣をちょうだい。王冠も載せてね。不滅へのあこがれが私を包んでいます)
アントニーの遺体の傍らに、クレオパトラは最後のエジプト女王として、 凛として最後の舞台に立ちます。 それは愛するアントニーを破滅させ、自分を見世物にしようとした、 オクテイヴィアス・シーザーへの、気高い抵抗と拒絶であり、 またシーザーと、そして死への、女王の勝利宣言だったのでしょう。
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