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絵画:ドルーエ 「マリー・アントワネットの肖像」
François-Hubert Drouais, Portrait of Marie-Antoinette, 1774.


MIDI:グルック 『アウリスのイフィゲニア』より 序曲
Christoph Willibald Gluck, Iphigenie en Aulide: Overture.


 1774年4月19日、マリー・アントワネットが、オーストリアの皇女の頃、音楽を教わった大作曲家グルックのオペラ『アウリスのイフィゲニア』がオペラ座で初演されました。
 グルックは、ウィーンの宮廷楽長であり、これまでのスター歌手中心、装飾性の強いバロック・オペラに対し、音楽と劇とをより密接に結びつけたオペラ改革を行なうという、斬新な考えを持った作曲家でした。
 グルックのフランス進出は、保守的なパリの宮廷楽師たちには歓迎されず、むしろ大反対でした。本来なら彼のオペラ上演などは不可能なはずでした。

 そこに、前年のパリ訪問で、フランス国民に大人気であることが証明され、有頂天の王太子妃、マリー・アントワネットが登場します。
 マリー・アントワネットは、自分の恩師であるグルックを全面的に支持しました。
 アントワネットは、グルックの音楽や思想に感銘を受けたというわけではなく、ただ、自分の力を宮廷で証明したかったのです。
 そして、グルックとアントワネット、それぞれの目論見通り、ついにグルックのオペラ上演が実現しました。
 しかも上演初日、マリー・アントワネットは夫である王太子、義弟であるプロバンス伯爵夫妻、ブルボン公爵夫人、シャルトル公爵夫人、それに大親友のランバル公妃など、めぼしい大貴族たちをすべて引き連れて、オペラ座に姿を現します。
 マリー・アントワネットは、アリアのすべてに大拍手を送り、他の宮廷人たちも、王太子妃への敬意と礼儀から、こぞって拍手を送りました。

 こうして、作曲家グルックは、パリで大成功をおさめたのです。

 このページで流しているのは、この夜、オペラ座でで大成功をおさめた、グルックのオペラ『アウリスのイフィゲニア』から、序曲です。
 グルック作曲の中で、もっとも有名な曲、オペラ『オルフェオとエウリディーチェ』の間奏曲「精霊の踊り」は、
こちらのページで流しています。



クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-1787)
Christoph Willibald Gluck


 グルックのオペラが大成功を収めたパリ・オペラ座。
 マリー・アントワネットは、そのオペラ座で、3ヶ月ほど前に、彼女の人生に深く関わることとなる、一つの出会いを果たしていました。

 1774年1月30日、オペラ座では仮面舞踏会が開かれていました。
 ドミノ仮装衣をまとい、黒ビロードの仮面をつけた、お忍び姿のマリー・アントワネットを、誰も王太子妃とは思いませんでした。
 そこでアントワネットは、1人の青年貴族と、打ちとけて会話を交わしました。
 背の高い、端麗な風貌の、この青年は、スウェーデン王室顧問官の息子、ハンス・アクセル・フォン・フェルセン(フェルゼン)でした。フェルセンは、当時の貴族社会の習慣に従い、見聞を広げるため、3年間ヨーロッパを遊学し、教養を身につけた後、パリの社交界にデビューしたばかりでした。
 彼は自分の会話している相手がまさか王太子妃とは思わず、打ち解けた楽しい会話をします。
 そんなフェルセンに、マリー・アントワネットは、茶目っ気からか、突然仮面を脱ぎ、身分を明かしました。

 マリー・アントワネットは無邪気さゆえにしたことで、その後も、フェルセンとは宮廷で、親しく会話をするようになりました。
 オーストリアとスウェーデン、ヴェルサイユでは異邦人である2人の友情は、ほどなく宮廷で噂となり、控えめなフェルセンは、王太子妃に悪い評判が立たないようにと、スウェーデンへと帰ってしまいました。



ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵
Hans Axel dy von Fersen