絵画:クロード・モネ 「庭の女たち」(1867)
Femmes au Jardin (Women in the Garden) 1867
MIDI:メンデルスゾーン 『無言歌集』より 第37番作品85-1「夢」


人物と自然を、戸外の同じ光の中で描くこと。
カンヴァスがあまりに大きくて、ついに完成することのできなかった
「草上の昼食」(1965-1966)の課題に、モネは再度挑戦しました。

それがこの「庭の女たち」でした。

モネは人物を「草上の昼食」の12人から4人に減らし、
カンヴァスもひとまわり小さいサイズにしました。
それでもその大きさは、サロンの絵画の平均からすればかなり大きい、
縦2.5メートルもするものでした。

この絵画は、「草上の昼食」以上の革新的な方法で描かれました。
「草上の昼食」は、戸外でスケッチしたものを基にして、
アトリエで大きなカンヴァスに描き直していましたが、
この「庭の女たち」は、戸外に直接カンヴァスを持ち出して、
徹頭徹尾、自然の光のもとで描いた作品だったのです。

けれど小さめにしたとはいえ、カンヴァスは並の大きさではなかったので、
モネは絵画の上部を描くため、地面に穴を掘り、
その中に滑車を使ってカンヴァスを降ろして描きました。

「庭の女」を描いている時、画家のクールベがモネを訪ねてやってきました。
ところが、モネは絵筆を持ち、じっと立ったまま、何もしないのです。
どうして描かないのかと、クールベは尋ねました。
「ご覧の通り、太陽が出ていないからだよ」と答えたモネ。
クールベは笑いながら、影の部分は太陽が出ないと描けないけれど、
背景なら今でも描けるよと言いましたが、
モネは頑固に太陽が出るまで待っていたそうです。

絵画は完成し、モネは自信を持ってサロンに出品します。
作家のエミール・ゾラは、この作品をその年の最高傑作と評価しましたが、
思いもかけず、作品は落選し、モネは衝撃を受けます。

描いた時は認められなくても、後に評価される絵画は数多くあります。
けれど、この「庭の女たち」については、完全に成功したと評価はされていません。
問題は人物でした。

この作品は、宮廷画家フランツ・ヴィーテンハルター(1805-1893)の
「ウジェニー皇妃と淑女たち」(1855)と、よく比較されます。


「ウジェニー皇妃と淑女たち」(1855)

ヴィーテンハルターの作品は、
光がはっきりと女性たちを照らし出し、
皇妃を囲むように緩やかに楕円を描く構図が統一感をもたらしています。

けれど「庭の女たち」は、中心が木を占め、
1人は画面に背を向け、他の3人は寄り集まっても、
お互いの存在に気付いている様子はなく、
マネキン人形が置かれているようにも、見えるのです。

この人物たちは、当時のファッション雑誌の影響があるとも言われていますが、
4人のモデルは、すべて恋人のカミーユが引き受けました。
けれどモネは、この女性たちがなぜ庭に集まることになったかの理由も、
人物に「カミーユ 緑衣の女」のような、ちょっとした人間らしい仕草を感じさせる、
人の生命を与えることはありませんでした。

けれど、この作品は人を惹きつけます。
それは人物ではなく、光と影、そして自然でした。

手前の女性の衣装、そして小道を寸断するような影、
水玉模様のように傘に落ちる丸い光、
影の中でも輝く白い薔薇。

光が影が、自然が命を持っていました。

モネがクールベに語った、あれほどまでにこだわった太陽の光は、
この絵の中で、永遠に輝き続けています。


モネはサロンに、より伝統に従ったもう一つの作品、
オンフルールの港を描いた作品も提出していましたが、
それも落選してしまいました。

「庭の女たち」に半年をかけ、無一文となってしまったモネ。
それを救ったのは、親友の画家バジールでした。
バシールは「庭の女たち」を、2500フランで購入してくれたのです。
それは当時の一般的な労働者の年収に匹敵するような、驚くべき金額でした。